イタリア本土を人間の足にたとえると、アキレス腱のあたりには、小さいながらも個性的な町が点在している。そのなかでも有名なのがアルベロベッロだ。カタカナにすると奇妙な名前に見えるが、現代イタリア語では「美しい木」という意味になる。
だが、現地のサイトによれば、ラテン語の「Sylva Arboris Belli」(戦いの木の森)が語源だという。昔このあたりで、大きな戦いがあったかららしい。 となると、「ベッロ」は現代イタリア語の「美しい」ではなく、ラテン語の「戦い(Bellum)→戦いの(Belli)」が語源だということになる。
つまり、アルベロベッロとは、「美しい木」ではなく、「戦いの木」という意味になるわけだ。だいぶイメージが違ってくる。
この地域に見られるトゥルッリ(Trulli/単数形はトゥルッロ=Trullo)と呼ばれる形の家には、はじめて見た誰もが驚くに違いない。石を積んで、周囲に漆喰を塗った様子は、まるで鳩小屋のようにも見える。しかも、ここアルベロベッロの中心部には、そのトゥルッリがびっしりと立ち並んでいるのだ。 その不思議な光景を目にすれば、この町が世界遺産に指定されたのもうなずけるというものだ。
ところで、自慢ではないが(その実、明らかな自慢なのだが)、私はこの町に1982年1月に訪れている。当時は、イタリア人の観光客はほとんどなく、ときどき物好きなフランス人とドイツ人、そしてごくたまに日本人がやってくるくらいだったらしい。白い漆喰も薄汚れたところが多く、寂しい南部の町の一つであった。
そして、当時の写真(下にある4枚)を見ればわかるように、いまではなぜか有名になった「屋根に描かれた文様」も、当時はほとんどなかったことがわかるだろう。
この町を訪れるには、バーリ(BARI)から私鉄のSud-Est鉄道(スドゥ・エスト鉄道=南東鉄道)に乗るのが便利である。バーリ出発から1時間ほど過ぎると、家並みがとぎれ、一面にオリーブ畑が広がってくる。そして、そのなかに点々とトゥルッリの農家が見えはじめると、アルベロベッロの駅はまもなくである。
1982年正月のアルベロベッロ
それにしても、来るたびに、バーリからの私鉄の車窓は変わり、なかなか家並みがとぎれなくなってきた。南部振興策のたまものか、工場の数も多くなったようで働き口が増えたと聞く。そして、アルベロベッロの町もきれいになり、観光客もひっきりなしに訪れるようになったのである。
ところで、トゥルッリの正体だが、一説には、税金を逃れるために簡単に壊せるような家にしたのだという。ただ、それだけが目的ならば、これほどまでに変わった形にする必要はない。
現在では空き家となったトゥルッリを改装したホテルがあるから、そこに泊まるとわかるが、建物の中にのひんやりとした空気に触れてみると、実に暑くて乾燥した土地に適した建物だと実感する。
このトゥルッリは、強い日射しを防ぎ、雨水を有効に利用するために適した構造になっているのだ。実際、トルコやエジプトでは驚くほど似た形の家が建っている。いまほど国境が確固たるものではなかった時代には、中近東から、そういった家を建てる技術をもった人びとが移住してきたに違いない。
イタリア南部には、古来から、フェニキア人、ギリシャ人、トルコ人、アラブ人、アルバニア人、ノルマン人、スペイン人が次々にやってきては、戦いも文化ももたらしたのである。
ちなみに、サルデーニャ島の先住民の遺跡とされるヌラーゲも、やはり石積みの建築物であるという点が似ている。もしかすると、こちらのほうともどこかで縁があるかもしれない。