トップページ
イタリア町めぐり

アルベロベッロのトゥルッリ 2002.09 地図


 イタリア本土を人間の足にたとえると、アキレス腱のあたりには、小さいながらも個性的な町が点在している。そのなかでも有名なのがアルベロベッロだ。カタカナにすると奇妙な名前に見えるが、現代イタリア語では「美しい木」という意味になる。
  だが、日本の新興住宅地ならいざ知らず、さまざまな民族が行き交った土地にしては、なんとも単純きわまりない名前である。当然ながら、語源は違ったわけだが、その謎については、あとでゆっくり紹介するとして……。

  この地域に見られるトゥルッリ(Trulli----単数形はトゥルッロ=Trullo)と呼ばれる形の家には、はじめて見た誰もが驚くに違いない。石を積んで、周囲に漆喰を塗った様子は、まるで鳩小屋のようにも見える。しかも、ここアルベロベッロの中心部には、そのトゥルッリがびっしりと立ち並んでいるのだ。
  その不思議な光景を目にすれば、この町が世界遺産に指定されたのもうなずけるというものだ。


かわいいトゥルッリに似合う車といえば、フィアット500(チンクエチェント)で決まり。

2002.9

フィアット500とトゥルッリ


  ところで、自慢ではないが(その実、明らかな自慢なのだが)、私はこの町に1982年1月に訪れている。当時は、イタリア人の観光客はほとんどなく、ときどき物好きなフランス人とドイツ人、そしてごくたまに日本人がやってくるくらいだったらしい。白い漆喰も薄汚れたところが多く、寂しい南部の町の一つであった。
 そして、当時の写真(下にある4枚)を見ればわかるように、いまではなぜか有名になった「屋根に描かれた文様」も、当時はほとんどなかったことがわかるだろう。

 その後、この町は1996年に世界遺産に登録されるのだが、それをはさんで、なぜか私は、1990年、1996年、2002年、2006年と、計5回もこの町にやってきてしまった。別に、この町が死ぬほど好きだというわけではないのだが、イタリア初心者の同行者がいる場合に、南部ではこの町を紹介するのがてっとり早かったというわけなのである。


アルベロベッロの裏道

中心の地区以外でも、一般の住宅にまじってトゥルッリの家が点在する。

2002.9


 この町を訪れるには、バーリ(BARI)から私鉄のSud-Est鉄道(スドゥ・エスト鉄道=南東鉄道)に乗るのが便利である。バーリ出発から1時間ほど過ぎると、家並みがとぎれ、一面にオリーブ畑が広がってくる。そして、そのなかに点々とトゥルッリの農家が見えはじめると、アルベロベッロの駅はまもなくである。

  トゥルッリが立ち並ぶ旧市街は、駅前の坂道を登り左側の方向。駅からは10分ほど歩くが、あちこちに看板があるから、迷うことはないだろう。
  どのガイドブックにもあるとおり、トゥルッリが密集している地区は、土産物屋が軒を連ねるモンティ地区と、静かなアイア・ピッコラ地区とに分かれている。アイア・ピッコラ地区では、一般の人びとの日常生活に触れることができる。静かにそっと巡りたい。
 狭い町だから、両方の地区をあわせても、急いでまわれば1時間あまりで見ることは可能だ。でも、できればのんびり時間をかけて散策したいものである。

 それにしても、来るたびに、バーリからの私鉄の車窓は変わり、なかなか家並みがとぎれなくなってきた。南部振興策のたまものか、工場の数も多くなったようで働き口が増えたと聞く。そして、アルベロベッロの町もきれいになり、観光客もひっきりなしに訪れるようになったのである。


◆1982年のアルベロベッロ    
  坂道をのぼる   モンティ地区
モンティ地区   裏通り


 ところで、トゥルッリの正体であるが、税金を逃れるために、いつでも簡単に壊せるような家にしたのだというのが定説である。ただ、それだけが目的ならば、これほどまでに変わった形にする必要はない。そんなことを考えながら、建物の中にのひんやりとした空気に触れてみると、これこそが暑くて乾燥した土地に適した建物だとわかってくる。

 このトゥルッリは、強い日射しを防ぎ、雨水を有効に利用するために適した構造になっているのだ。実際、トルコやエジプトでは驚くほど似た形の家が建っている。いまほど国境が確固たるものではなかった時代には、中近東から、そういった家を建てる技術をもった人びとが移住してきたに違いない。

  イタリア南部には、古来から、フェニキア人、ギリシャ人、トルコ人、アラブ人、アルバニア人、ノルマン人、スペイン人が次々にやってきては、戦いも文化ももたらしたのである。
 ちなみに、サルデーニャ島の先住民の遺跡とされるヌラーゲも、やはり石積みの建築物であるという点が似ている。もしかすると、こちらのほうともどこかで縁があるかもしれない。


アルベロベッロのネコ

日なたは暑すぎたのか、ネコがのんびりと「日陰ぼっこ」をしていた。

2002.9



 そこで、冒頭に書いた「アルベロベッロ」という地名の由来に戻るのだが、現地のサイトによれば、ラテン語の「Sylva Arboris Belli」(戦いの木の森)が語源だと書かれていた。昔このあたりで、大きな戦いがあったかららしい。 となると、ベッロは現代イタリア語の「美しい」ではなく、ラテン語の「戦い(Bellum)>戦いの(Belli)」が語源だということになる。
それが事実ならば、アルベロベッロとは、「美しい木」ではなく、「戦いの木」という意味になるわけだ。

  ただ、私自身としては、以前耳にした説が気になっている。それは、先頭の「al」がアラビア語の定冠詞であり、地名はアラビア語が語源ではないかというものだ。確かに、同じ南部のシチリア島では、アラブ人が一時支配していたことから、アラビア語由来の地名が数多くあることは知られている。カラーブリア州や、ここプーリア州にもアラブ支配下の町があったそうだから、アラビア語語源の地名があっても、ちっともおかしくない気がする。

 まあ、それが事実かどうかは別として、のんびりと観光を楽しみながら、アイスクリームでも食べるついでに、こうした歴史に思いをはせてみるのもいいものである。


●所在地
プーリア州バーリ県
●公共交通での行き方
・バーリ中央駅から私鉄Sud-Est鉄道マルティーナ・フランカ方面行きに乗り、所要約1時間半。日中40分~1時間半ごと。平日のみ。休日は、代行バスが日に4往復。
・ターラントから私鉄Sud-Est鉄道バーリ行きで所要約1時間。平日のみ数往復。

●見どころ
・なんといってもトゥルッリの家並み。おとぎの国にまぎれこんだ気分になる。
・周辺のローコロトンド、マルティーナ・フランカなどの小さな町も、列車ですぐに行けるので、あわせて訪ねるといい。

●老婆心ながら
バーリ中央駅は国鉄と共用。表玄関から地下道を通り、一番遠いホームから乗る。切符は、その小さなホームで買える。休日の代行バスは、その裏の出口近くにある広場から発車。
アルベロベッロの夕景  夕日に染まるアルベロベッロの街   2002.9
2007年4月内容更新

■「よろず話」トップページに戻る | 「イタリア町めぐり」目次に戻る■