船でゆくアマルフィ海岸の旅は、この上ない幸福なひとときである。船が出航するのは、ナポリから南で鉄道で1時間ほどのサレルノ。そこから、夏期を中心にアマルフィを経由してポジターノまでゆく船が、1日に6、7往復ほど運行される。
けっしてゴージャスではないが、進行方向右側のアマルフィ海岸の眺めは絶品である。山がそのまま海岸線まで落ち込んでいる崖、海に向かって大きく口を開けた洞窟、かと思うと、山と海の隙間にあるわずかな平地、あるいはこんもりとした丘の中腹に、教会の塔を中心として白い家々がびっしりと建っているのが見えるのだ。
2002年9月、前夜はサレルノでお祭りがあったらしく、サレルノからアマルフィ方面に帰る地元の人でほぼ満員だった。
すると、船の右側に陣取っていた人たちがなにやら騒がしい。地元の人たちが見慣れているはずのアマルフィ海岸に歓声をあげるというのも妙だなと思った。
「何かあったんですか?」
10代後半と見える理知的な若い女性が、振り返って叫んだ。
「デルフィーノ!」
私にとっては初めての単語だったが、0.3秒間ほど考えた末にわかった。
「ドルフィンじゃん!」
私は、若い女性の肩ごしに身を乗り出して水面を見たが、もうそこには何も見えなかった。はたして、本当にイルカがいたのかどうか、いまだにわからないが、あれほど騒いでいたんだから、たぶんいたのだろう。
そんなわけで、私にとってアマルフィという名を聞いて真っ先に思い出すのは、海岸沿いに展開される町々の美しい景色でもなく、階段という舞台装置が見事なあの豪華絢爛なドゥオーモでもなく、ドゥオーモに隣接した「天国の回廊」のアラブ的な均整のとれた美しさでもなく、カーブが連続しているためにあちこちに擦り傷がある大型バスでもない。
船の甲板で乗客たちが、イルカだイルカだと、みな子どものように騒いでいる光景なのである。
もう一つアマルフィで思い出すのは、ロベルト・ロッセリーニ監督の『殺人カメラ』(La macchina ammazzacattivi)という1948年作の映画である。
アマルフィ海岸の町が舞台で、一人の聖人が写真屋のもとにやってきて、写真に撮った人間がほどなく事故や病気で死ぬというカメラをくれる。それを手にして、写真屋は悪党や守銭奴を次々に写真に撮っていくのだが、あまりにも周囲に悪人が多くて、もうきりがなくなってくる……というロッセリーニにしては珍しく、皮肉に富んだ喜劇なのだ。
映画の内容もおもしろかったが、そのバックに見えるアマルフィ海岸のなんと素朴で美しかったことか。モノクロ映画なのだが、その澄んだ空気感が漂ってくるようだった。そして、小さな岬をめぐる道を、年取った聖人がとぼとぼと歩いていく姿が目に残っている。
「ああ、いつも大渋滞の道なのに、ちっとも車が通っていない!」
世界遺産となったアマルフィ海岸の中心地であるこの町には、ひっきりなしに大型バスがやってきて、たくさんの観光客で賑わっているが、町の中心部はほんの小さな範囲である。
せっかくここまで来たら、アマルフィだけで帰るのはもったいない。ポジターノまで足を伸ばす人は増えているが、ほかにも、ラヴェッロ、フローレ、プライアーノ、ミノーリ、マイオーリといった小さな町が山と海の間に点在しているので、時間がある方はぜひのんびりと訪ねていってほしい。どの町も、バスが頻繁に運行しているので便利である。