アスコリ・ピチェーノは、アドリア海沿岸のサン・ベネデット・デル・トロントからローカル線で50分ほどのところにある台地上の町である。険しい山を越えてはるばるやってきた果てに、壮麗で立派な町があるというのは、イタリアならではの感動だ。人口は5万人強。
雰囲気はペルージャやスポレートのようなウンブリアの町と似ているが、建物に使われている石の色が明るいからなのだろうか、そうした町よりも垢抜けた感じがする。
町を歩く人も、どことなく上品で落ち着いているように見えた。フィレンツェやアッシジにあんなに観光客が押しかけるのなら、もっと交通が便利ならば、この町ももっと人気が出るに違いない。でも、隠れた美しい町であることこそがアスコリ・ピチェーノの大きな魅力なのかもしれない。
ピチェーノという名前はローマ建国のはるか以前にアスコリを建国したピチェニ人に由来するという。ローマ時代になると、テヴェレ川河口の塩田とアドリア海沿岸の塩田を結ぶサラリア通りに位置していたアスコリは、このピチェノ地域の中心地となる。
そして中世に入ると、北方からやってきたゲルマン系のゴート人やランゴバルド人などの襲来を受け、 6世紀にはランゴバルド王国支配下のスポレート公国の一部となる。8世紀に入ってフランク王国がランゴバルド王国を滅ぼしたことで、アスコリはフランク人の支配下に置かれた。
鉄道駅や長距離バスターミナルは新市街にあり、そこから西へ200mほど歩くと、カステッラーノ川をわたるマッジョーレ橋がある。
眺めのいいこの橋をわたると、まもなく旧市街となる。航空写真を見るとよくわかるが、蛇行するカステッラーノ川とトロント川に囲まれた旧市街は、東西2km、南北1kmほどの楕円形をしており、周囲を山に囲まれているうえに、どこに行くにも深い渓谷を橋で渡らなくてはならない。まさに天然の要塞といってよい。
とくに重要な建物が集中しているのはポポロ広場とアッリンゴ広場で、この2つの広場は中心部で50mほど隔てて隣り合っている。
ルネサンス様式のポポロ広場の周囲には、カピターニ・デル・ポポロ宮殿、サンフランチェスコ教会が建っており、壮麗のひと言である。聖フランチェスコ教会は、1215年に聖フランチェスコがこの町を訪問したことを記念して建立されたという。
一方、この町でもっとも古い広場であるアッリンゴ広場には、中世に建てられたサンジョヴァンニ洗礼堂、町の守護聖人である聖エミディオの聖遺物が安置されたサンテミディオ大聖堂、アレンゴ宮殿、市役所の建物などが建ち並ぶ。
旧市街の主要な区域は、1時間もあれば十分にまわることができるが、できれば1、2泊して朝昼晩と歩き回ってみることをおすすめしたい。
歴史ある町だけに教会や宮殿の内部に興味深いものが多いのはもちろん、中心部から少し歩くだけで丘や渓谷が見えてきて、風景が変化に富んでいる。周囲の丘上には、それぞれ特徴ある城砦や教会がある。
そして、アスコリ・ピチェーノといえばイタリア人がすぐに連想するのは、名物のアスコリ風オリーブ(Olive all'ascolana/オリーヴェ・アッラスコラーナ)だ。オリーブの実に挽き肉を詰めて、油で揚げたスナックである。1つ食べるとまたもう1つといった具合に、あとを引く。
それはまさに、噛めば噛むほど味わいを感じさせるアスコリ・ピチェーノを体現している名物といってよいかもしれない。地味なマルケ州にあって、きらりと宝石のように光る町、それがアスコリ・ピチェーノである。