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イタリア町めぐり

城砦から見たサン・フランチェスコ教会 1981年12月 地図


 イタリア中部、ローマから直線距離で北100キロほどに位置するアッシジ(アッシージ)は、今や押しも押されもせぬ世界的な観光地である。
  かつては、キリスト教の聖地として訪れる人も限られていたが、2000年に世界遺産に指定された前後から、キリスト教徒だけでなく世界中から観光客が押し寄せている。
 それが証拠に、来るたびに駐車場が広くなり、そこに停まっている観光バスの台数が驚くほど増えている。

  ローマとフィレンツェの間に位置しているために、ついでに寄るのには都合がいいのだろう。まさにそんな理由で、私もまたイタリア初体験の同行者を連れて行くときは、たいていローマの次にアッシジで1泊するスケジュールを組むのである。


霧にけむるアッシジの町。左に見えるのがサンタ・キアラ教会。

1981.12

霧にけむるアッシジの町


 初めてアッシジを訪れたのは、フィレンツェで勉強していた1981年。それから、1985年、1990年、1996年、2004年と5回にのぼる。最初の1回は別として、そのほかは必ずアッシジで1泊したのだから律儀なものである。

  1996年、両親を連れていったときのこと。帰りにホテルから駅までタクシーを頼んだ。
「最近は観光客が多くなったよね」と私が言うと、タクシーの運転手は答えた。
「うん、でもほとんどが日帰りなんだ。あなたがたみたいに泊まってくれるお客さんはありがたいね。たいていの外国人は観光バスでやって来て、2時間くらいであっという間に帰っていくんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「それでも、日本人はいいよ。たくさんお土産を買ってお金を落としてくれるからね。ロシア人はただ見るだけでお金を使わないんだ」
  これはあくまでも、1996年時点の話である。その後、またいろいろな国の人がやってきて、いろいろな行動様式を見せているはずである。


水上バスの船内
▲ 冬のアッシジは観光客の姿も少なく、町全体に落ち着いた雰囲気が漂っていた。
  1981.12
▼左の写真から約四半世紀。観光客は激増したが、やはり宗教的な町だった。
  2004.10
鐘楼からの眺め


  アッシジで何よりも有名なのは、かの聖フランチェスコを祀るサン・フランチェスコ教会である。名家のぼんぼんに生まれ、何不自由なく育ち、悪い仲間とさんざん遊びほうけていたフランチェスコが、戦いのむなしさや貧しい人びとの暮らしを知るうちに、あるときから神の道に目覚め、恵まれない人のためにつくしたという逸話は、なかなか人間味があっておもしろい。

  そのあたりの話は、映画『ブラザーサン・シスタームーン』や『神の道化師フランチェスコ』に詳しい。堕落しきったローマ教皇やその取り巻きたちと、フランチェスコとその仲間たちの純粋な気持ちがよく対比されていた。少なくとも、フランチェスコたちのほうが、本来のキリストの考え方に近いのだろう。
  それにしても、異端者として裁かれなくてよかったと思う。彼が異端者とされていたら、アッシジもまた現在のように観光客で賑わうこともなかったに違いない。もっとも、フランチェスコが人びとに支持されていたからこそ、ローマ教皇も無視できなかったのだろう。

  そして、「ブラザーサン」が聖フランチェスコならば、「シスタームーン」は聖女キアラである。やはり、いい家の娘として何不自由なく育ったキアラだが、親が決めた結婚に反対して聖フランチェスコに帰依する。女子修道院で仲間と神に祈る日々を送ったわけである。そのキアラの教会が、下から2番目の写真。なかなか艶っぽいデザインと色づかいである。


この町のドゥオーモ前の小さな広場にて。失礼にも、教会に尻を向けて撮った写真である。右上遠くに見えるのが山の頂上にある城砦。

1985.11

城砦を仰ぎ見る


 アッシジで印象に残っているのが、中心部からややサン・フランチェスコ教会寄り、小さな三叉路にあった陶器の店。1985年に訪れたときは、確かに陶器の店だった。
  そのころのシーズンオフだから、町に観光客の姿はほとんどなく、どの店もがらんとしていて入りにくい。それでも、店に足を踏み入れたのは、ショーウィンドーに並んでいる陶器が、ほかの土産物屋にあるものとは一目で出来が違うことがわかったからだ。
  店の片隅には、30代後半と見えるインテリ風の女性が一人、クラシックな机を前にして座っていた。地元の陶芸家や自分自身がつくった陶器を売っているのだと教えてくれた。

  このときは、クリーム色の下地に絵付けがされているエスプレッソカップをペアで、それに加えて同じデザインの砂糖入れを買った。女性は、同じデザインの楕円形の皿も勧めてくれたのだが、予算の関係で断ってしまった私である。
  それほどの大金じゃなかったのに、なぜか意地になって買うのを拒んでしまったのは、「単なる日本人の都合のいい客」と思われたくなかったという、つまらない見栄だったように思う。

  実は、このことがずっと心の底にわだかまっていた。2客しかなかったカップに砂糖入れが売れたというのに、同じデザインの皿だけが残っても、店としては困るだろう。思い出すたびに、つまらない意地をはって悪いことをしたなと思ったのである。


水上バスの船内
▲丘の上に広がるアッシジの町は、メインストリートを一歩はずれると、こうした狭い路地や坂ばかりが連続している。
  1981.12
▼町の中心部にあるコムーネ広場近く。薄暗い路地を抜けて視界が開ける劇的なつくりの町並み。
  2004.10
鐘楼からの眺め


 次にアッシジを訪れたのは、1990年のこと。店は5年前と同じようにそこにあり、同じように例の女性が一人で店の片隅に座っていた。
 驚いたことに、店内の飾り棚には、見覚えのある皿が1枚、ぽつんと置いてあった。
  もちろん彼女は、私のことを覚えていなかったのだが、5年前に同じデザインのカップを買ったことを話すと、満面の笑みを浮かべて喜んでくれた。そして、私は心残りだった例の皿を買うことにしたのである。ついでに、別のデザインの大きめのティーカップも。

 それにしても、あの皿は5年間ずっとあそこに置かれていたのだろうか。同じデザインのカップも砂糖入れもなく、皿だけが残されていたのだ。
 最後の1枚だったのか、それとももとから1枚しか仕入れていなかったのかはわからないが、おかげでわが家では1セット揃ったわけである。


華麗な色彩と優雅なデザインのファサードを持つサンタ・キアラ教会。キアラは貴族の娘として生まれたが、のちに聖フランチェスコの初めての女性の弟子として修道院に入り、聖女としてあがめられるようになった。

1981.12

町なかの道


 1996年、今度は両親を連れてアッシジにやってきた。店はやはり同じ場所に同じようにあった。だが、ショーウィンドーには陶器がない。その代わりに、古ぼけた道具や小物が並んでいた。
 店の奥を見ると、やはりくだんの女性が片隅に座っていたので、意を決して店に入ってみた。

  やはり、私のことは覚えていなかったが、以前買った陶器のカップをとても気に入っていると話すと懐かしそうに応対してくれた。
「陶器の店はやめて、いまは骨董品を扱っているのよ」と彼女。
  店にあるのは、銀細工やカメオから、インドの楽器、農家の古道具などなど。見ているだけでも楽しかったが、さすがに日本に買って帰ろうと思うような品はなかった。丁寧に礼を言って店を辞した。

 そして、2004年、今度は妻を連れてのイタリア旅行である。やはり、ローマからフィレンツェに行く途中にアッシジで1泊した。
  かわいい陶器のセットは、もちろん家にあるので妻も見知っている。「買った店は、今じゃ骨董屋になっちゃったけどね」と言いながら、その店を見せたいと思って足を運んだ私である。

  だが、もうそこはまったく別の店に変わっていた。そして、あのインテリ風の女性の姿は、どこを探しても見当たらなかったのである。


●所在地
ウンブリア州ペルージャ県
●公共交通での行き方
・ローマからイタリア鉄道でフォリーニョまで1時間半~2時間。ペルージャ方面行きに乗り換えて15分。直通列車もある。
・フィレンツェからテロントラ・コルトーナまで1時間半。ベルージャ方面フォリーニョ行きに乗り換えて1時間。直通列車もある。
・アッシジ駅前からバスで15分。バスは頻繁に出ている。
●見どころ
・サン・フランチェスコ教会、サンタ・キアラ教会を中心とした宗教的な雰囲気に満ちた町。
・典型的な丘上都市の外観。

●老婆心ながら
この町の名前を「アッシジ」と発音してもイタリア人にはまず通じない。「アッシージ」でも通じるかどうか。あえて書けば「アッスィーズィ」となる。慣れないと発音しにくい。
城砦からの眺め アッシジの丘を望む眺めのいい畑では、地元のおじさんたちが収穫の喜びを語り合っていた。たぶん。 2004.10
2010年10月作成

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