はじめてフェラーラ(フェッラーラ)を訪れたのは、フィレンツェの語学学校に通っていた1981年10月のことである。今ならば高速列車を利用することで、たいした時間もかからないで着くはずだが、なにしろ当時のイタリア国鉄は車両が古いし、線路の整備もいま一つ。しょっちゅう遅れていたものだから、ずいぶん時間がかかった記憶がある。
早朝に出たとはいえ、ラヴェンナと合わせて日帰りで行こうとしたものだから、かなりの強行軍になってしまった。
さて、そのフェラーラだが、エミリア=ロマーニャ州の北東に位置するフェラーラ県の県都である。川を渡れば北側はヴェネト州。ヴェネツィアも目と鼻の先である。
フェラーラは、ここを治めたエステ家によって14世紀以降に栄え、ルネサンス(イタリア語:リナシメント)の文化の中心地の一つとして繁栄したという。
20代なかばだった私は、そんな予備知識もないまま、駅を降りて旧市街に足を向けた。まずは、中心部にどんとそびえ立っているエステ家の城(エステンセ城)に突入。堀をまたぐ橋は、西洋の時代劇に出てきそうなもので、鉄の鎖で跳ね上がるしくみになっていた。
ぼんやりと歩いていると、上から槍が降ってきたり、仕掛け天井が落ちてきたりするのではないかと感じられるほどだった。
城の上部に出て、町を眺めてみて驚いた。晩秋のどんよりとした空のもと、旧市街はまるでルネサンス時代そのままではないかと思えるほど、古風な雰囲気を漂わせていたのである。車の姿が見えなければ、当時と見分けがつかないのではないか。
道ゆく人びとも、フィレンツェとはちょっと違っていて、気のせいか古めかしい印象であった。
1981年10月のフェラーラ
そのフェラーラを再訪したのは、2009年6月のことだ。その間の1995年にこの旧市街とポー川デルタ地帯が世界遺産になったのだとか。
さて、町の様子はというと、確かに昔とは大きく変化していた。それは間違いない。季節の違いもあるからだろうが、人びとの服装はカジュアルになり、時代の推移を感じた。なによりも、自転車に乗る人の多さには驚いた。あれほど自転車が普及している町は、イタリアで初めて見たような気がする。
とはいえ、もちろん建物は昔のまま。しかも、ほかの町では歴史的建造物が軒並み洗浄されて、建造当時のぴかぴかの状態に復元されたところもあるが、ここはそうでもない。多少はきれいになったようだが、なんとなく煤けた感じが残っているのはおもしろい。
そして、地中海性気候で6月といえば晴れて乾燥した日が続くはずなのだが、フェラーラを訪れた前後は珍しく曇っており、雨がぱらついていたのも何かの縁なのだろうか。
ところで、フェラーラに繁栄をもたらしたエステ家は、後継者問題で難癖をつけられ、なんだかんだといろいろあって1598年にフェラーラから追放されてしまったそうだ。町は教皇領に編入されるが、その後、18世紀末にフランスに占領されたのち、1859年にサルデーニャ王国(のちのイタリア王国)に併合された。