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イタリア町めぐり

夕暮のドゥオーモ広場 2006年10月 地図


 ローマから北東に100キロ弱。高速バスで1時間40分の距離にありながら、アブルッツォ州の州都ラクイラ(ラークイラ)は、日本人にあまりなじみのない町だった。2009年4月6日までは。
  現地時間で6日の未明、ラクイラを中心として、マグニチュード6.3の地震が発生。 また、それに続く余震によって、ラクイラ市内をはじめとする周辺地域の建物は甚大な被害を受け、300人以上の犠牲者が出たことは、ご存じの方も多いだろう。ラクイラは1703年にも大地震に襲われており、もともと地震の多い地域なのである。

  大地震から1年近くたち、最近になって現地に入ったイタリア人によると、今もなお旧市街は再建の目途がたっておらずゴースト・タウンのようだという。住民には仮設住宅が提供されてはいるそうだが、まだ1万人が施設で暮らしているとのことだ。たった一度とはいえ、この町に訪れた者としては、早急な町の復興を祈らずにはいられない。

 ここで紹介するのは、地震が起きる2年半前、2006年10月に訪れたときの様子である。


町の中心部近くにあるサン・ベルナルディーノ修道院。正面には長い階段が続き、目の前の風景が劇的な展開を見せてくれる。

2006.10

サン・ベルナルディーノ修道院

サン・ベルナルディーノ修道院からの眺め

サン・ベルナルディーノ修道院の正面から、階段を見おろしたところ。木々の緑と山々が美しい町である。

2006.10



 それは2006年の旅の終わり近く。プーリア州をひとめぐりしてローマに向かう途中、急遽ラクイラを訪ねてみようと思い立った。ペスカーラから支線に入ってスルモーナで下車。切符はここまでしか買っていなかったから、スルモーナで列車を乗り換える間に、駅の窓口で買い直さなければならなかった。

「はて、 L'Aquilaはどこにアクセントがあるのか?」
  ままよとばかり、出札口の男性に向かって、のちに日本のテレビで地震を伝えていたアナウンサーのように、「ラクイラ」と平板アクセントで発音した。
  だが通じない。「ラクイラ!」と最初の音節を強く言ったり、「ラクイーラ?」と後ろから2番目の音節にアクセントを置いて言い換えるのだが、やはり通じない。それでも、何回か言っているうちに、やっとわかってくれたようで、切符を出してくれた。

  列車に乗ってから耳にした発音では、「ラークイラ」と最初の音節を伸ばして、そこにアクセントを置くのだとわかった。あまりにあせっていたために、アクセントのある音節を伸ばすというイタリア語のイロハ、いやabcを忘れていた。


旧市街のはずれにある城砦からは、グラン・サッソの山々を望むことができる。

2006.10

城砦とグランサッソの山々


 州都ラ"ー"クイラ行きは、なんとたった1両のディーゼルカー。しかも、約1時間ほどで着いたラクイラ駅は、州都の中央駅とは思えないほど、こぢんまりとしていて、ホームに野良犬までいるのだから驚いた。

 町の標高は714m。山岳都市や丘上都市の多いイタリアにおいても、この規模の町(人口6万人あまり)としてはかなり高い部類に入る。
 駅から中心部までは地図で見ると直線距離で800mほどだが、現地についてみると、目もくらむほどの急坂の連続で驚いた。

  10月とはいえかんかん照りの暑い日で、先が思いやられたが、高所に位置するだけあって、空気がひんやりとして気持ちがよい。町のあちこちに木々が生い茂り、イタリアの町というよりも、信州の小都市のようだというのが第一印象だった。


Bazzano門あたり

町の南東にあるバッツァーノ(Bazzano)門付近。城壁周辺は台地のへりになっているので急坂ばかり。歩くだけでも大変だ。

2006.10



「Aquila」とは「鷲」という意味で、町の名前はそれに冠詞がついているわけだ。地名に冠詞のついている町は、ほかに「La Spezia」(ラ・スペツィア)などがあるが、数は少ない。
 この町は、13世紀にかの有名な神聖ローマ皇帝かつシチリア王のフェデリーコ2世によって礎が築かれたのだそうだ。

 州都にしては町の規模は小さいのだが、じっくりと見れば見るほど、歴史的にも文化的にも見どころが多い。
  そして何よりも、住む人びとが温和で親切であったという印象が深い。まさに、噛めば噛むほど味わいの出てくるような町だった。


町の南西端、坂を下ったところにあるリベーラ(Rivera)門。この左側に、下の写真の「Fontana di 99 cannelle」(フォンターナ・ディ・99カンネッレ)がある。

2006.10

Rivera門


 ラクイラでは、ファサードからの見晴らしが素敵なサン・ベルナルディーノ教会、城砦から見えるグランサッソの山、99の注ぎ口を持つ給水場など、何を見ても魅力的だったが、もっとも印象に残ったのは週末の広場に集う人びとの賑わいと、30~40年前に時代がタイムスリップしたのではないかと思われる、のどかでクラシックな4つ星ホテルだ。

 思いつきでやってきたラークイラなのでホテルの予約もしていなかったが、シーズンオフということもあり、飛び込みですぐに部屋は確保できた。ドゥオーモ広場から、やや道を下ったところにある4つ星ホテル「グランドホテル・デル・パルコ」である。

大都会で4つ星というと、かなり高額なホテルも多いが、ここは非常にリーズナブル。天井が高くて広々としたロビーに、色あせた絨毯と、当初は高級品だったに違いないくたびれたソファが印象的だった。
フロントはと見ると、古いイタリア映画に出てきそうな背筋のピンと張った紳士。エレベーターは、20年前のイタリアのホテルでよく見かけた旧式で狭苦しいものだった。


99の注ぎ口を持つ給水場

この町のシンボルといってもよい「Fontana di 99 cannelle」(99の注ぎ口を持つ給水場)。
かつてはこの水もちゃんと飲めたのだそうだ。
このFontanaは「噴水」と訳されることが多いが、水が上に向かって噴出しているわけではない。

2006.10



 私がラクイラにやってきたのは日曜日であった。夕方になると、旧市街中心部に位置するドゥオーモ広場(トップの写真)は、たくさんの人で人でごったがえしていた。
  でも、人の多さの割には、まったく騒々しさが感じられない。広場には、不思議な落ち着きと静けさに満ちていた。このおっとりとした緊張のなさは、ほかのイタリアの町とはまた異なるものだった。

  まさか、その2年半後にこの町が大地震に襲われ、壊滅的な被害をもたらすことになるとは当然のことながら、想像もつかなかった。
  背筋のピンと張ったホテルマン、ホテルまでの道筋を丁寧に教えてくれた親父さん、ビール屋の若き店主、田舎道を歩いていたときにご自慢の三菱製の車に乗せてくれたおじさん、ホテルのバールで毎朝おしゃべりをしながらエスプレッソを飲み、仕事場に向かっていった上品な立居振舞の人びと。みんなどうしているんだろうか。

  印象に残っているのが、2日目の朝にバスで郊外の町に出かける途中のこと。停留所にとまるたび、地元のおばさんやお姉さんたちがあいさつをしながら降りていく光景であった。その停留所の一つが、今回の地震で人口約350人のうち40人が犠牲になったオンナ村である。


●所在地
アブルッツォ州ラクイラ県(州都)
●公共交通での行き方
・ローマ・ティブルテーナ駅前からARPA社のバスで1時間40分。平日30分~1時間おき。休日は約2時間おき。
・ペスカーラからイタリア鉄道でスルモーナへ約1時間。乗り換えて約1時間。
・ペスカーラからARPA社の直行バスが平日1~2往復。所要1時間25分。
●見どころ
・歴史的建造物に満ちた旧市街。
・町はずれにあるアブルッツォ建築の粋、サンタ・マリア・ディ・コッレマッジョ教会。

●老婆心ながら
2010年4月現在、町の中心部は関係者以外立ち入り禁止となっており、原状回復が進められている。
町の中心部 人びとで賑わう週末のヴィットリオ・エマヌエーレ2世通り。ドゥオーモ広場はこのすぐそば。 2006.10
2010年4月作成

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