マントヴァは、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェを結ぶ三角形のほぼ中央に位置する町だ。観光都市としての価値は、イタリア国内でもかなり上位にくるはずなのだが、残念ながら日本人の間ではいま一つ知名度が低い。
それというのも、上記の3都市のどこからもほどほどに遠く、鉄道の幹線から外れている。ついでに出かけるには面倒だし、だからといって1日割いてわざわざ訪問するほどではないと判断されているからなのだろう。でも、ここは14~17世紀に栄えたマントヴァ公国の中心地。素通りするには、あまりにももったいない町である。
1985年12月にはじめて訪れたときのマントヴァは、雨がしとしと降り、広場に人影はなく、ただ寒かった(下の5枚の写真がそのときのもの)。しかも、時間が遅かったものだから、目当てにしていたドゥカーレ宮殿はすでに閉館。「なんと陰気な町なんだろう」というのが、そのときの印象だった。
ところが、1996年に再び訪ねてみると、印象がまるで違った。暗く重々しかった街並みに、さんさんと陽が降り注ぎ、広場ではピンクのクロスをかけたテーブルで、地元の人たちが昼食を楽しんでいるではないか。広場はフリーマーケットの会場となって大賑わいだった。
やはり、人も町も1回の印象で決めつけてはいけないということを再認識したしだいである。
そして、念願のドゥカーレ宮殿に入ることができた。目当ては宮殿の中にある「Camera degli sposi/カーメラ・デッリ・スポーズィ」(夫婦の間)の壁に描かれたアンドレーア・マンテーニャ(1430-1506)のフレスコ画である。
以前、日本のイタリア観光協会でもらって部屋に貼っていたポスターに、ここのフレスコ画が描かれていて、ぜひ実物をみたいと思ったのである。
1985年のマントヴァ
当時、修復が終わったばかりのドゥカーレ宮殿の見学は、約20人ほどが集まった時点でスタートし、ガイド付きで進んでいった。ガイドの女性はイタリア語しか話せなかった。「質問はイタリア語のみ受け付けます」とイタリア語で言っていたっけ。
そして、あちこちの部屋を引き回されたのち、私たちのグループは、ようやく「夫婦の間」にたどりついた。
部屋の前でグループはさらに10人ずつ2つに分けられ、見学時間はそれぞれ約10分。これもイタリアの至宝を守るための措置なのだろうと。
そして、さんざんじらされたあとで、私の目に飛び込んできた絵は、想像していたものよりもはるかに生き生きとして鮮やかなものであった。
限られた時間の中で、私はそのフレスコ画をなめるように見た。そして、グループの誰よりもあとに部屋を出ていったのである。
「ああ、満腹。とうとう思いがかなったぞ」
私は幸福感に満たされて宮殿の正面に戻ってきた。そして、正面広間の脇にある小さな土産物売場に入ったときのことである。
陳列されていた写真集の表紙を見て愕然とした。
「ああっ、天井に描かれた天使を見るのを忘れた!」
いまさら、もう一度最初からやり直すわけにもいかない。こうして、私はいつの日か、もう一度マントヴァに行かなくてはならなくなったのである──。
そう心に決めてから、はや22年、最初の訪問から数えると33年たち、ようやくその願いがかなうときがきた。2018年3月、マントヴァのドゥカーレ宮殿を再訪。今度は、グループ行動も時間制限もなく、じっくり見学することができた。もちろん、天井画も忘れずに。
●所在地
ロンバルディア州マントヴァ県(県都)
●公共交通での行き方
・ミラノ中央駅から直通列車で所要約2時間。2時間おきに運転。
・ヴェローナ・ポルタ・ヌオーバ駅から45分。1時間おきに運転。
●見どころ
・ゴンザーガ家が庇護した芸術品と建築物の数々が詰まった旧市街。
・ポー川の支流ミンチョ川のつくる湖が、町の三方を取り巻くのどかな風景。
●老婆心ながら
見どころは旧市街の中心部に集中しているが、テ宮殿やマンテーニャの家は中心部から1キロあまり南。
2003年8月公開
2019年4月更新(写真追加、モバイル対応)
マントヴァ写真ギャラリー |
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