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イタリア町めぐり

川上側から見たログーディ 地図


「周辺には古くからギリシャ系の人たちが住み、ギリシャ語が話されている」
「何十年か前に大水害があり、町は放棄された」
 ログーディについて知っていることは、このくらいだった。実に好奇心をそそるエピソードであるが、人が住んでいなければ、行ってもしかたがないとあきらめていた。
 その気が変わったのは、イタリアの個人サイトでログーディの廃墟の写真を見つけてからのことである。カラブリア(カラーブリア)州の地図とにらめっこをし、ローカルバスの時刻表を探し当て、2005年秋にとうとう現地まで足を運ぶ機会を得たのである。

 アドリア海沿岸のメーリト・ポルト・サルヴォ(Melito porto salvo)という田舎町に宿をとり、朝8時過ぎのロッカフォルテ・デル・グレーコ(Roccaforte del Greco)行きのバスで1時間半。終点の町は海抜935メートルの山上にある山岳都市であった。
「ギリシャの強固な砦」という意味のこの町は、文字通り、付近のギリシャ文化の中心地の1つである。
 この町まで乗り通したのは私一人。そして、町なかにある小さな別れ道でバスが停まった。
「この右側の道をずっと降りていけば、ログーディに行くからね。道はガタガタだけど舗装はされているよ」
 帰りの最終便は14時45分。何度も確認して私はバスを降りた。ログーディまでは片道6.5キロ。アップダウンのかなりある道を、徒歩で往復しようという計画であった。
「13キロを4時間半か。現地滞在を1時間弱として、まあまあだな」
 空は雲一つない青空であった。


コリオ・ディ・ロッカフォルテ

ログーディへの道1.

ロッカフォルテ・デル・グレーコの町を出ると、やがて眼下にコリオ・ディ・ロッカフォルテの集落が見えてくる。この集落を抜け、急坂を下ると、画面中央奥にかすかに見える橋にたどりつく。
川の対岸に、ログーディに向かう道が見える。

2005.11


ログーディへの道2.

上の写真にある集落を抜けると、 川全体が見渡せる地点にやってくる。おそらく、土石流が右側の山肌を大きく削り、こうした地形ができたのだろう。対岸に見える筋が、ログーディへ登る道。この写真の右端、山の陰になっているあたりにログーディがある。

2005.11

ログーディへの道


 ロッカフォルテ・デル・グレーコから30分もだらだらと坂道を下ると、コリオ・ディ・ロッカフォルテ(Chorio di Roccaforte)の小さな集落がある。色とりどりの花が咲き、牛が道端で草を食んでいる桃源郷のような村である。だが、ここを境にして、あたりの景色は一変する。

  眼下にはアメンドレーア(Amendolea)川が流れているのだが、谷間に積もった膨大な土砂が、白く光って異様な光景である。この川は夏にはほとんど枯れてしまうが、雨の多い冬にはかなりの水量になるという。訪問は11月だったので、わずかに水が流れているという状態だった。
  川の全貌が見える地点までやってくると、上の写真のような光景が目に入ってきた。ログーディを襲った土石流が、この山肌を大きく削ったのだろうか。

  さらに、道を下りきった地点で橋を渡るのだが、そのあたりに来ると、雨が降ってもいないのにがけの上から、ぱらぱらと細かい石が落ちてくる。路肩もあちこちで崩れている。雨の日にここを通るのは命の危険がありそうだ。晴れの日を選んできてよかったと思った一瞬であった。
  橋からは上流の山々が見えるのだが、岩がむき出しでほとんど木の姿が見えない。ちょっとの雨でも土砂が川に流れ込むことは、容易に想像できた。

  帰国後、グーグルアース(グーグルマップ)という便利なものができたので、この地域の航空写真を見たのだが、上流の山の様子を見てビックリ。それはそれはすさまじい規模の土砂崩れがあった跡がうかがえるのである。
  いや、もうそれは土砂崩れなんて生易しいことばではなく、山腹崩壊とでも言うべき現象だったに違いない。それが原因で大規模な土石流が発生し、ログーディの町を飲み込んだのである。

 グーグルの地図は ここ


背後の山から見たログーディ

川に突き出した尾根に沿って家が建ち並ぶ。
それにしても、この町がすべて水に沈んだ水害とは、どれほどすさまじいものだったのか。

2005.11


 それにしても、ログーディは見るからに奇妙な町である。高い山の頂上や斜面にできた町というのは、イタリアでもよく見てきたが、ログーディは川に突き出した尾根に沿って、家が建ち並んでいる。よくこんな場所に集落を作ろうと思ったものだ。

  そして、はるばるやってきたログーディは、やはり廃墟だった。だが、家の形はそのまま残っており、崩れた壁の間から見える煉瓦の色も鮮やかである。まるで建築中のように見える家もあった。
 集落の中を走る道は狭い急坂の連続で、車も通れなかったに違いない。荷物はロバにでも載せて運んだのだろうか。

 水害でこの集落は放棄されたが、この背後の山の中腹に、ゴリオ・ディ・ログーディ(Ghorio di Roghudi)という小さな町がある。時間がなくてたどりつけなかったが、その町の街路名の一部にはギリシャ神話に登場する神々の名前が使われているそうだ。
  その町と区別するために、この廃墟の町は、ログーディ・ヴェッキオ(Roghudi vecchio)、つまり「古いログーディ」とも呼ばれている。

ログーディ遠景▲ロッカフォルテ・デル・グレーコの町外れから見たログーディの遠景。 尾根に沿って二股に分かれている様子がわかる。
  2005.11
▼今は住む人はいないが、羊の放牧や作業場に使われているようだった。
  2005.11

ログーディの廃屋

 廃墟に人影はなく、ときどき聞こえてくるのは、山の上のほうから羊飼いが鳴らす笛の音だけ。……と思ったら、廃墟の空き地にも羊が十数頭ほど「放牧」されているではないか。どうりでマトン臭いはずだと思っていた。近くには牧羊犬2頭が羊を見張りながら、私にも警戒心を露わにしている。
「いや、怪しいもんじゃないからね。すぐ出て行くから安心して」
私は犬にそう日本語で語りかけて、その場を離れた。

  廃墟を出たところにある山道では、その飼い主らしき中年男性が、車の運転席で休んでいた。いまどきの羊飼いは車に乗って羊を追っているのだ。
私は、思い切って尋ねてみた。
「この町が放棄されたのはいつなんですか」
「1969年だよ*」
 面倒くさいのか、もともと物静かなのかわからないが、ぶっきらぼうにその男性は答えた。私は、つたないイタリア語で懸命に話をつなごうとする。
「川が増水したんですよね」
「うん」
「川の水は、えーと、えーと、どのくらいまで高くなったんですか」
 すると、少しの間ののちに、彼はこう言った。
「ここは海抜500メートル以上あるんだけどね。水面がそれを越えたんだ」
「この町が全部? 水の中に?」
「そう、全部水につかったんだよ」

 そこまですさまじい水害だったとは知らなかった。少なくとも現在の水面から、町の頂上までは100メートル以上あるように見えるが、その町がすべて水に浸かるとは……。

*資料によると、ログーディが洪水に襲われたのは、1971年とのことである。


まるで、今も人が住んでいるかのような、ログーディの廃墟。

2005.11

ログーディへの廃墟


 私の不十分なイタリア語の語彙では、ここでどう同情を表現しても安っぽくなってしまったに違いない。それほど彼の愁いは深く見えた。
 そこで、私は話題を変えることにした。
「あのぅ、もう1つ質問があるんですが」
「どうぞ」
「このあたりの地域では、まだギリシャ語が話されているって本当ですか?」
 すると、彼の表情が、ほんの少しやわらいだように見えた。
「そう、古代ギリシャ語だよ。ちょうど、ここで話されているんだ。あんたは何か知ってる?」

  ギリシャ語は知らなかったが、間のいいことに1つだけ思い出した。挨拶で使う「カリメーラ」である。
「カリメーラは、ブォン・ジョルノですよね」
「そうそう」
 物静かだった男性は、いろいろと丁寧に説明してくれたが、半分くらいしかわからなかった。どうやら、カリメーラの古い形で「カリメロス」とかなんとか、このあたりでは言うらしい。

 年齢からして、少年時代に大水害に遭遇したのだろう。はたして、その洪水の日、この山奥の町はどんな事態になっていたのだろうか。そして、それまでこの町ではどんな暮らしが繰り広げられていたのか。
 そんなことを考えながら、なんとも重苦しいような、悩ましいような気分で、帰りの6.5キロを歩いたのであった。

 この町を出た人たちの多くは、イオニア海沿岸に移り住んだのだそうだ。メーリト・ポルト・サルボに近いRoghudi nuovo(ログーディー・ヌオーヴォ)というのがその町である。


●所在地
カラブリア州レッジョ・ディ・カラブリア県
●公共交通での行き方
・レッジョ・ディ・カラブリア中央駅前から、メーリト・ポルト・サルヴォ経由のバス(1日3往復)で2時間半(メーリトからは1時間半)、終点のロッカフォルテ・デル・グレーコ下車。徒歩2時間弱。
●見どころ
・川の上にせりだしたログーディの廃墟。
・土砂が堆積したアメンドレーア川。
・標高1000メートル近い山岳都市ロッカフォルテ・デル・グレーコ。

●老婆心ながら
ロッカフォルテ・デル・グレーコからログーディへの道は、あちこちで崩れており、車の利用は不可。雨の日は人の通行も危険。車利用ならばボーヴァ(Bova)からログーディへ来る山道があるが、運転に慣れた人向き(らしい)。
ログーディへの廃墟 ちょっと見ると、建築途中とも見える廃墟の家々。
  2005.11


◆おまけ

 そして、何とかバスに間に合うようにロッカフォルテ・デル・グレーコに帰還。街に入ったところで、チーズ屋の太ったお兄さんが、不思議そうな顔をして私の顔を見ている。
「こんにちは」と私があいさつすると、
「どこから来たの?」
「朝のバスでここに来て、ログーディまで往復してきたんですよ」
「歩いて?」
「そう」
「パッツォ!(狂ってる)」と笑う彼。
 私は、これを最大限の賛辞と受け取り、にっこりと微笑み返したのであった。このあたりの人だって、数十年くらい前までは、そのくらい平気で歩いただろうに……と思いながら。


ロッカ・フォルテ・デル・グレーコ

海抜900メートルの山(ヴーニ山)の上に広がるロッカ・フォルテ・デル・グレーコ。
典型的な山岳都市で、この町を見ただけでも、ここまでやってきた甲斐があるというものだ。

2005.11

2007年4月作成
2011年6月一部記述を修正

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