1981年、大晦日のシチリア。私は、カターニャから南に向かう列車に乗り、車窓から見えるエトナ山の姿に見とれていた。
6人がけのコンパートメントには、私のほかには70過ぎと思われるおばあさんが一人。私がイタリア語を話せるかどうかを確かめることもなく話しかけてきた。
「どこまで行くんだい?」
「シラクサまで」
そう私が答えると、やや間があって彼女は納得したように言った。
「ああ、シラグーザか」
イタリア語の初心者だった私は、語尾から2つ目の音節にアクセントをつけるという基本的な法則を忘れていた。しかも、母音にはさまれた「s」は濁るという原則も忘れていた。
だから、少なくとも標準語では、Siracusaはシラクーザと発音しなくてはいけなかったのだ(ただし、濁らないことも多く、人によっても差かあり、この町もシラクーサとも呼ばれることが多い)。だが、「cu」はどう考えても「ク」であって「グ」にはならない。
でも、思った。
──シラグーザか、田舎っぽくていい響き!
まだ20代なかばだった私は、老婆の一言を聞いて、はるばるシチリアまでやってきたという感慨にふけったのであった。
当時、シラクーザ観光といえば考古学地区にあるギリシャ劇場跡やデュオニソスの耳と呼ばれる洞窟が有名であり、私も駅に荷物を預けてはるばる歩いて訪ねたのであった。
確かに遺跡も素晴らしかったのだが、何にも増して強く印象に残ったのは、駅の南東方向にあるオルティージャ(Ortigia)島である。 実は、この島こそが旧市街なのだ。
12月とは思えない日射しの中を、駅から歩くこと20分。30mほどの狭い水路を渡ると、そこには別世界が広がっていた。くねくねと曲がる狭い路地、すすけた家々の壁、ほこりとゴミにまみれた道路、生臭いにおいが漂う市場……まさに、絵に描いたような魅惑的な旧市街であった。
そのとき──1981年12月31日のシラクーザの町の様子を撮ったのが、下の4枚の写真である。
1981年 大晦日のシラクーザ
ギリシャの植民市として発達したシラクーザは、かの有名なギリシャ人数学者アルキメデスが住んでいた町でもある。彼が風呂場で「アルキメデスの原理」を発見して、喜びのあまり「エウレカ!(=ユリイカ/わかった)」と叫びながら、裸で走りまわったという伝説が残るのがこの町なのだ。
オルティージャ島の中央には、彼にちなんで、アルキメーデ広場(アルキメーデは、アルキメデスのイタリア語読み)がある。
私もアルキメデスにちなんで、この町では、歩き愛でることにした。
狭いから十分に歩けるのだ。
2007年秋、26年ぶりに訪れたオルティージャ島は、ずいぶんこざっぱりとして、ささやかなリゾートという雰囲気を漂わせていた。
ほこりっぽくて異臭のした路地も、きれいに清掃されて土産物屋やバール、レストランが軒を連ねている。
アルキメーデ広場の近くには、ブランドものの服がショーウィンドウに飾られていたのがまぶしかった。
貧乏旅行だった1981年には、午前中にやってきて、日が傾く前には次の町に移動してしまっていた。当時は、短い時間にたくさんの町を巡ることが最優先だったのだ。
2007年に訪れたときには、窓から海の見える、かわいいホテルで3泊もしてしまった。交通機関のストライキがあったことも理由の一つだけど……。
「当時も、この町に泊まってみたら、さぞかしおもしろかっただろうに」
2日続けてウニのスパゲッティを食いながら、私はちょっとセンチメンタルな気分になったのであった。
2007年には、たまたま結婚式当日に居合わせたことから、レストラン「カンブーサ」の女主人ナオコさんと知り合うことになり、その後も町を訪ねるようになった。