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イタリア町めぐり

スティーロの中心部を下から眺める 地図


 1980年代のはじめといえば、携帯電話もインターネットもなかった時代である。日本との連絡は、電話局まで行って国際電話をかけるか、2週間以上もかかる(あるいは永遠に届かない)郵便はがきを利用するしかなかった。

 そこで、ヒマがあればイタリアから絵はがきを出していたのだが、そこで必要になるのが切手である。イタリアの通常切手は、どれも単色でそっけないものだったが、それでもイタリア国内の著名な建造物が描かれていて、興味をひかれたものだった。


ビザンチン様式の小さな教会「カットーリカ」

2004.10

「カットーリカ」


 切手の図柄に使われている建物のうち、ほとんどはすでに写真で目にしたことがあったのだが、なかで1つだけわからないものがあった。
 それは、がけの上にあるらしき不思議な形の建物である。屋根には円筒型の煙突のようなものが5本ばかり突き出している。イタリアというよりも、北アフリカあたりにありそうな建造物であった。

 それが南部にあるということだけはわかったのだが、当時はルネサンスやバロック建築のほうに目を奪われていたころでもあり、さほど気にもとめることなく、いつしか記憶の底に埋もれてしまった。

旧市街の家▲山に向かって右手に広がる旧市街は、細い道がくねくねと続いている。ここは家の入口らしい……。
  2004.10
▼新市街の片隅。旧市街に向かうあたりの路地にて。
  2004.10新市街から旧市街に向かう道

 時は移って2004年10月。南部カラブリア(カラーブリア)州への旅を計画するうちに、この建物の写真を20年ぶりに目にする機会を得た。
 それが、このスティーロにあるカットーリカだったのだ。異国風に見えたのは、10世紀にビザンチン文化の影響を受けて建てられたためと知った。

 スティーロの町は、屏風のようにそそり立った岩山(コンソリーノ山)の中腹に広がっている。山は海抜700メートル。海岸から数キロ入ったところにあるが、その姿は海岸近くを走る鉄道や道路からも見ることができる。
 訪れた日は、あくにくの雨もよう。厚い雨雲が垂れ込めるなか、午後3時半ごろに海岸沿いのモナステラーチェ・マリーナ(Monasterace Marina)を発車したバスは、学生で超満員。まもなく海岸から直角に曲がると、正面にスティーロの山を見ながら進んでいった。
 そして、道もなかばにさしかかったころ、スティーロの山に突然日が射してきたではないか。黒い雲に覆われて薄暗いなかで、山だけがスポットライトを浴びたように浮き出している。それは、本当に神々しいとしか形容できない光景であった。


新市街の中心部。モナステラーチェ・マリーナから車で来ると、ここに出る。旧市街はこの写真の手前側。

2004.10

新市街の中心部


 ところがである。バスに乗っている学生は、そんな光景に目もくれない。騒々しいだけなのである。
--なんてもったいない……とはいっても、この子たちには、もう見慣れた景色なんだろうなあ。でも、この車窓を見ないなんて、断じてもったいないぞ!

 スティーロは、遠くで見てよし、近くで見てよし、散歩してもまたよい町であった。しかも、ほどよく大きな町なので、宿泊と食事の施設も一応ある。かといって、それほど観光化されていないのも魅力。

 そして、カットーリカは、旧市街の町はずれの上にひっそりと立っていた。10メートル四方ほどの小さな建物であるが、その内部には美しいフレスコ画がわずかに残っていた。
  常駐しているらしい2人のおじさんにあいさつし、私は訪問者名簿にローマ字で名前を記してきたのであった。


●所在地
カラブリア州レッジョ・ディ・カラブリア県
●公共交通での行き方
・レッジョ・ディ・カラブリア中央駅前からスティーロ行き直通バスで、約3時間。1日数往復。
・レッジョ・ディ・カラブリアとカタンザーロを結ぶバスで、モナステラーチェ・マリーナ下車。スティーロ行きバスに乗り換えて約30分。

●見どころ
・岩山の中腹に開けた町の様子。
・ビザンチン文化の香りを伝える「カットーリカ」。
・700メートルの山頂にある城砦。

●老婆心ながら
乗り換えのバス停は単に「モナステラーチェ」と呼ばれていることが多いが、正しくは「モナステラーチェ・マリーナ」。本来のモナステラーチェは山の中にある。
スティーロ全景 東側(海岸側)から見たスティーロの全景。山の中腹を取り巻くように、町が広がっているのが見える。
  2004.10
2005年6月作成

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