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イタリア町めぐり

仲良し(?)二人組がゆく 地図


 世界遺産の町マテーラから、バジリカータ州の州都ポテンツァまでは、谷を走る高速道路を経由するのがごく一般的なルートである。鉄道の路線もそこを通っている。だが、眺めのよさを楽しみたいのなら、なんといっても丘上都市をめぐりながら、尾根をたどる道だ。

  この道を通り、マテーラからトリカーリコ(トリカリコ)に至る路線バスは日に3便。私は、朝の弱い妻を引きずり起こして、マテーラを朝7時10分に出るバスに乗り込んだ。
  車窓には、なだらかな山並みと平野が拡がり、思い出したように付近の丘上都市が見え隠れして、それはそれは早起きしたかいがあったというものである。そして、終点のトリカーリコまで乗り通した客は、私たち以外には若い女性と老婦人の2人だけであった。


こんな小径(?)もある。旧市街に通じる橋。

2002.7

旧市街に通じる橋


 それにしても、軽い気持ちでやってきたこの町だったが、かなり複雑な歴史をもっていることを知った。実際、この町にはイタリア南部をかつて支配していたアラブ人やノルマン人の影響が色濃く残っている。

 9世紀にこの土地を支配したアラブ人は、ここにアラブ風の町をつくったといい、それが細い曲がりくねった道や袋小路として、いまも旧市街にそのまま残っている。
  そもそも、町が「サラチェーナ(Saracena)地区」と「ラバターナ(Rabatana)地区」に分かれているのだが、「サラチェーナ」はアラブ人(またはイスラム教徒)を意味するサラセン、「ラバターナ」はアラビア語の「ラバト(大きな町、郊外の地区)」ということばに由来しているのである。

  さらに、11世紀にはノルマン人の支配下に入り、そのときに建てられた塔がいくつか残っている。なかでも中心部にある「ノルマンの塔(Torre normanno)」は、この町のシンボルでもある。

旧市街の道 ▲昼なお暗い道を歩いていくと、急に開けた場所に出る。
  2002.7
▼カスバのような旧市街は、アラブ支配の時代を色濃く残しているという。
  2002.7
旧市街のネコ

 帰りのバスまでは4時間もあったので、ゆっくり町を歩きまわり、あちこちでネコの相手をして時間をつぶした。それでも、時間は余る。まあ、腹も減ってきたので、町の中心の小さな広場にある小さなバールに入ろうということになった。
  カウンターの向こう側から出迎えてくれたのは、太った気のよさそうな店主。私は、何か目ぼしいものはないかと薄暗い店を見まわすと、冷蔵庫の中にさまざまなビールがストックしてあるではないか。
 じっと眺めていると、「オレは世界のビールを集めるのが好きなんだよ」とうれしそうに店主が言う。ふうん、と思ってよく見ると、棚のなかほどに見慣れた銀色の缶ビールが……。
「あんたたち日本人かい。ほら、日本のビールもあるよ。飲むかい?」
 い、いや、わざわざここまで来て日本のビールを飲まなくても……しかもスーパードライでは……。ということで、ご遠慮申し上げて、ベルギーのビールを注文した私たちである。

「オレはミラノにいたんだけど、そこで日本人の女の子と知り合ってさ」と、彼は頼みもしないのに携帯電話を見せてくれて、「ほらこれがその子の名前だ」
 見れば確かに日本人の名前である。またもや、ふうん、と思っていると、
「そうそう、こいつはね」と、カウンターの隅に腰掛けていた、ちょっとカッコいいけれど照れ屋そうなお兄さんを指して、「奥さんが日本人なんだよ。住まいはイギリスなんだけどね、きょうは親戚の結婚式で帰ってきたんだ」
 聞けば確かに日本人の名前である。これまた、ふうんであった。こんな山の上の田舎町で、日本に縁のある話が次々に出てくるとは思いも寄らなかった。世界は狭いものである。

 とそのとき、聞こえてきたのは騒々しいクラクションの音。外に出てみると、結婚式のお祝いである。車が何台も連なって、小さな広場をぐるりと一周してどこかへ行ってしまった。花嫁と花婿が乗っていたのは、なんとトラクターの荷台だった。
「ほお、変わったパレードもあるもんだ」と、私は茫然と見送った。
 しかし、狭い町である。行くところがないのだろう。また30分ほどすると、プープカとクラクションを鳴らしながら、車の行列が広場を一周していった。こんどは、主人公たちは飾りつけをした小さな車に乗っていた。
「へえ、車のお色直しかあ……」
 新郎新婦は、広場にいる人たちに愛想を振りまいて去って行った。


ノルマンの塔

丘のふもとから中心部を眺める。 中央右手にある塔が、「ノルマンの塔」。

2002.7



 さて、店の外に置かれたテーブルでビールを飲むことにした私たちだが、ふと周囲を見わたすと、どこからやってきたのか、何十人というおじさんたちが、狭い広場のここかしこにたむろしているではないか。時計を見ると12時をまわっているが、何を食べるでもなく飲むでもなく、ただしゃべっているだけ。
「いつも同じ顔ぶれだろうに、よく話のネタがあるもんだ」と、私は感心するほかなかった。

 この人たちは、飯も食わずにこれからどうするのだろうかと、人ごとながら心配になってきた1時少し前、おじさんたちはいっせいに動きだし、あっというまに広場から散っていってしまった。
「これから、うちに帰って昼食をとるんだよ。ちょうど、この時間に用意ができるんだ」
 私たちは、よほど不思議そうな顔をしていたのだろう。近くにいたおじさんが、親切に説明してくれた。
 ううむ、と私はうなるしかなかった。こんな暮らしを、この町の人は何十年、何百年と繰り返しているのだろうか。うらやましいような、うらやましくないような気分であった。

 こうして、この町に滞在すること4時間。ようやく帰りのバスがやってきた。運転手は行きと同じ人。乗客のうちの1人も、同じバスでやってきた若い女性であった。
「あら、楽しんだ? 旧市街の曲がりくねった道は見た?」
「う、うん、もちろん」
 そういえば、そんなものも見たっけ。あまりに強烈なことが続いたので、町を歩きまわったのが、ずいぶん昔のことのように思えたのだった。


●所在地
バジリカータ州マテーラ県
●公共交通での行き方
・マテーラから、SITA社のバスが平日のみ3往復。所要約1時間30~45分(経由地によって異なる)。
・ ポテンツァから、SITA社のバスが平日のみ1往復(ポテンツァ行きは早朝)、TITO TRASPORTI社のバスが平日3往復・休日1往復(夜)。所要約1時間。

●見どころ
・入り組んだ路地がアラブ時代の面影を残す旧市街。
・大聖堂とノルマンの塔、サラセンの塔など。

●老婆心ながら
田舎にしては規模が大きい町だが、レストランやトラットリーアのたぐいがないので注意。バールも数えるほど。
結婚パレード トラクターの荷台に乗せられた新郎新婦。広場を一周して去って行った。
*画面にポインタを合わせると、車を乗り換えた新郎新婦が……。
  2002.7

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