アルプスの南北を結ぶ街道は何本かあるが、そのなかでも古代から重要な位置を占めていたのが、ブレンネーロ峠を経由して、ボルツァーノを通り、ロミオとジュリエットで有名なヴェローナへ至る道である。ヴィピテーノは、ブレンネーロ峠から南へ10kmあまりに位置する宿場町として栄え、18世紀後半には、ドイツからイタリアに向かったモーツァルトやゲーテもここを通っている。
もっとも、両者ともに通過しただけで宿泊はせず、ゲーテの『イタリア紀行』では、この町についてほんのひと言だけ触れているにとどまっている。
また、第二次世界大戦直後には、何人かのナチスの高官が南米に逃れる途中、偽造パスポートを入手するまでの間、この町に潜伏していたというエピソードもあるらしい。
15世紀のはじめごろからは、近くでとれる銀鉱石の選鉱所としても栄えたらしい。世界史でも有名なアウグスブルクのフッガー家をはじめ、さまざまな会社がこの町に本社を置いたという。現在も残る古い邸宅のいくつかは、この当時に建てられた家をもとにして、改築を重ねていたと、町のホームページに記されていた。
人口6000人くらいの小さな町であるが(とはいえ、ここ100年間で着実に人口は増加しているようだ)、地理的にも歴史的にも重要な場所だったということがわかる。
そんな町を訪れたのは、2007年の6月。ただでさえ昼が一番長い時期であり、しかも緯度が高いから、午後6時を過ぎても太陽は中天高くにあった。
ボルツァーノ自治県は、ドイツ語を母語とする人が人口の7割ほどを占め、イタリア語とともにドイツ語が公用語となっている。とはいえ、地名はイタリア語名とドイツ語名は似通っているところが多く、県都はイタリア語でボルツァーノでドイツ語はボーツェン、有名な保養地メラーノは、ドイツ語ではメランである。
ところがである。この町はまったく違うのだ。イタリア語ではヴィピテーノだが、ドイツ語ではシュテルツィンクなのであった。
町の中心部は本当に小さく、せいぜい500m四方といったところ。その中心にあるのが、この町のシンボルである時計塔(Zwölferturm/Torre delle dodici)である。イタリア語の名前からすると、「12時の塔」なのだろうが、そこにどんな謂われがあるのかはわからなかった。いずれにしても、この町を紹介する写真には欠かせない建造物……というか、めぼしいものはこれしかないともいえる。
花崗岩でできた高さ46mの塔は15世紀後半に建てられたが、1867年の火事によって先端部が焼失し、現在のような形に補修されたそうだ。
そして、この時計塔の下を、この町随一の通りが貫く。いわば、ヴィピテーノ・シャンゼリゼである。そして、イタリア語でもドイツ語でも、この塔より南を「新市街通り」、北を「旧市街通り」と呼んでいる。
私が訪れたのが休日だったからか、新市街通りは観光客でごったがえしていた。外見からするに、大半の人はオーストリアから国境を越えてやってきたのではないだろうか。暑くて休憩しようにも、カフェテラスもバールも満員である。
イタリア国内を旅行して、店がイタリア人で満員なのには慣れているが、ドイツ系の人で満員なのは慣れていなかったのでやや面食らった。相手は体格もよいし、イタリア語も通じそうにないので、無理して分け入っていこうという度胸がなかった。
そんなわけで、この町ではあまりゆっくりとできなかったが、ちょっとイタリア離れしたかわいい町としておすすめである。人込みに疲れたら、中心部を50m離れるだけで人通りの少ない静かな道になる。
そんな静かな街角で、50代くらいの上品そうなおばさんが3人、道端に腰かけて楽しそうに会話をしていた。さて、何語で話しているのかなと聞き耳を立てたら、きれいな標準イタリア語であった。