日本地図上の位置 富山の位置
富山県 富山
富山県 高岡
日本の町並み

富山(富山県)

富山市は、地方都市で最大級の空襲に見舞われたため、戦前から残っている建物は数少ない。一方、全国に先駆けてコンパクトシティ構想を進めてきたことでも知られ、中心部の活性化によって町の賑わいを取り戻そうと、LRTの導入に加えて都心の総曲輪周辺の再開発を積極的に行ってきた。そして、2015年の新幹線の開業にあわせて、富山駅周辺も様変わりした。
 ここでは、1970年代の旅の行きがけに撮った写真に加えて、再開発が進む2005年当時に残されていた商家や飲食店街の写真も紹介したい。

1974年2月、1978年8月、2005年5月、2005年10月撮影
Toyama City, Toyama Prefecture

キャプションの数字は撮影地点の緯度、経度、撮影方向(真北が0°で時計回り)
撮影日付に★のある写真は、ポインタを置く(タップする)と新しい写真に変わります。

富山駅前

1970年代の富山駅前。右手の高い建物は富山ステーションホテルで、屋上に不二越の広告が掲げられている。左端の3階建ては「桝常食堂」、その右は「金剛食堂」と見える。中央やや右のモニュメントは今も健在。

36.700596, 137.212487
240°

1974/02(★2019/07)

富山駅の北側

夜行列車を待つ間、駅の付近をぶらぶら歩いたときの写真。富山駅の西側、いたち川に架かる新宿橋から南側を撮ったもののようである。

36.700680, 137.220150
210°

1974/02

新富山駅前

 

市内線から射水線への直通は1977年8月に復活したが、射水線のテコ入れならず、1980年に廃止となった。直通電車は、この新富山で市内線から分岐していた。その後、新富山電停は120mほど西に移動して、富山トヨペット本社前(五福末広町)と改称。このあたりは、富山大橋の架け替えと道路拡幅で大きく変化している。

36.695104, 137.195718
150°

1978/08

桜橋近くにあった板壁の商家

富山の中心部からは、徐々に古い家並みが消えている。これは桜橋近くにあった板壁の民家。

36.694539, 137.215348
315°

2005/05

旅館「奥田屋」

上の写真の家の並びにあった旅館「奥田屋」。見越しの松が趣深い。

36.694761, 137.215371
330°

2005/05

銭湯「観音湯」

こちらは、富山駅に近い新富町にあった銭湯「観音湯」。

36.698314, 137.211848
345°

2005/10

内幸町の飲食店街

新富町の南に位置する内幸町には飲食店が立ち並んでいる。この蔵造りのような建物は、スナック「カトレヤ」として2019年も健在だが、中高層ビル化の波が周辺に迫っている。

36.697358, 137.211154
150°

2005/10

シネマ食堂街の南側入口

富山駅前から迷路のように飲食店が立ち並んでいた「シネマ食堂街」の南側(富山駅とは反対側)。新幹線開通後も高層ビルの谷間に奇跡的に残っていたが、2015年5月末に閉鎖・解体された。

36.699257, 137.213763
315°

2005/05

シネマ食堂街の南側入口

シネマ食堂街の南側入口。現在は、「パティオさくら」という再開発ビルが建っている。

36.699406, 137.213799
270°

2005/05

シネマ食堂街

シネマ食堂街に足を踏み入れると、まるで映画のセットのような昭和の世界だった。屋根のついた街路のもと、こんな路地が延々と続き、あちこちで分岐したり交差したりしていた。

36.699526, 137.213708
330°

2005/10

シネマ食堂街の映画館

シネマ食堂街の名前の由来となった映画館は、富山駅に近い側にあった。このときは、成人向け映画の専門館となっていた。

36.699807, 137.213539
135°

2005/10

総曲輪のアーケード街

富山の中心部「総曲輪」(そうがわ)のアーケード街。一時はかなり寂れた印象だったが、コンパクトシティ政策による都心活性化のおかげで、現在では賑わいを取り戻し、外観もおしゃれになっている。

36.689764, 137.212525
270°

2005/10

2020年11月公開


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