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私鉄ローカル線
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タイトル
 流山駅前。背後の雑木林はやや形を変えたようだが、いまでも当時の面影が残っている。
 東京近郊とは思えない、こぢんまりとした好ましい駅舎である。
 1973.2
流山駅前


流山駅のホームから  駅の奥に車庫があり、ホームからはいつも何両かの車両を眺めることができた。右から順に、モハ101、モハ103、モハ105。いずれも、南武鉄道(現・JR南武線)から旧国鉄を経てやってきた車両である。
 1976.4


 流山駅の南側に停泊していたクハ52。屋根に特徴がある。
 1969.11
流山駅構内のクハ52


ディーゼル機関車DB1  森製作所製のディーゼル機関車DB1。最初に訪れたときには、駅横の側線にいたが、次にきたときには車庫の奥。また、このときには側線に戻っていた。動いているのは見たことがない。
 1978.1


 やはり、側線に置かれていたサハ31(旧・キハ31)の廃車体。最初来たときには、同じような形をして32という番号をつけた廃車体が、倉庫代わりに使われていた。
 1973.2
流山駅側線のサハ31廃車体





流山の車庫
流山駅の奥にある車庫。近くの道路から、見わたすことができた。
 1976.4


 常磐線の馬橋から出る流山電鉄(どうも、総武流山電鉄という大げさな名前は、いまだにしっくりこない)は、家からそう遠くないこともあって、何度も乗りに行ったものだった。
 なかでも、初めて乗ったときの驚きはやはり忘れられない。東京の都心からそう遠くない距離にありながら、小さな2両の電車が単線の線路を行き来している、その姿を見ただけで、心がときめいたものだった。残念ながら見ることはなかったが、電車が貨車をひいて走ることもあったそうな。

 流山駅のたたずまいも、また好ましいものだった。幸いなことに、現在でもその面影を十分に残しているので、鉄道ファンの方ならずとも、ぜひ一度ご訪問してみることをお勧めする。
 しかし、なんといっても私の気に入っていたのは、鰭ヶ崎と赤城台(現・平和台)間に広がる畑と雑木林である。ここを武蔵野というのは正しくないかもしれないが、まさに武蔵野のたたずまいを残した場所であった。

 だが、東京から近いこともあって、地下鉄千代田線の開通・常磐線への乗り入れ、そして武蔵野線の開通によって、流山電鉄の沿線も大きく変わってしまった。走っている車両もすっかり変わり、いまでは西武鉄道から来た電車が、カラフルな色で往復している。
 もちろん、そのこと自体にとやかく言うつもりはない。地元の人にとっては便利になったのだから。でも、最近になって、流山から鰭ヶ崎まで歩いて、ちょっぴり寂しくなったのは正直なところである。
 だが、当時の情景ははっきりと私の脳裏に焼きついている。そして、いまでも馬橋に行けば、あの赤い電車が待っていて、あの雑木林に連れていってくれるような気がするのである。

1973年の乗車券
1973年の乗車券
流山駅の入場券
1998年の流山駅入場券


 


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