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キハ3の車内。波佐羅(はさら)、観音下(かながそ)といった難読駅を過ぎ、周囲に山が迫ってくる。 1976.7 |
倉谷口を発車して尾小屋に向かうキハ3。独特のスタイルをもつ車両で、元は遠州鉄道のキハ1803である。 倉谷鉱山はここから約2キロ。地図にはトロッコの線路が記されていたので、それを見ようと下車したのだが……。 1976.7 |
雪に埋もれた尾小屋駅の構内。2度目の訪問時には、雪崩のために倉谷口・尾小屋間が不通。バスでここまでたどりついた。 1977.3 |
尾小屋駅前。ここは尾小屋鉱山で栄えた町で、奥にある鉱山跡まで一本道が続き、両側には立派な町並みが続いていた。 1977.3 |
尾小屋駅の駅舎。ホームの柱には、「をごや」という駅名板が見える。 1977.3 |
結局、尾小屋鉄道には2回しか行くことができなかった。1回目は一人で、2回目は友人3人と夜行列車に乗って出かけたのである。2回目は廃止直前ということで、かなりの鉄道ファンが集まっていた。 それにしても、2回の尾小屋行きで、3両のディーゼルカーすべてに乗れたのは運がよかったといえるだろう。これも、ふだんの行ないのよさにちがいない。 ところで、上にも書いた倉谷鉱山だが、行ってみると廃墟があるだけ。レール跡も探ることはできなかった。まあ、その顛末は「時刻表にない鉄道を求めて」で書く機会もあるだろう。 現在、JR北陸本線粟津駅近くの石川県立小松児童会館で、キハ1とDC121などの車両が動態保存されているのは喜ばしいかぎりである。また、旧尾小屋駅構内でも、赤門軽便鉄道保存会によってキハ2、DC122が保存され、小松市所有のキハ3、C15などともにときどき運転会が行なわれているそうだ。 |
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