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私鉄ローカル線を訪ねて
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タイトル



三ノ輪橋終点
まだ「荒川線」という名前となる前の[27]番三ノ輪橋終点。
雑然とした雰囲気に、なんとなく居心地のよさを感じたものだった。車両は、改造前の7000形。
 1972.11




 1972年11月に[23][24][28][29][38]番が廃止され、[27]番が短縮されたため、残る都電の路線は三ノ輪橋~王子駅前を結ぶ[27]番と、荒川車庫前~早稲田を結ぶ[32]番の2つの系統になってしまった。2系統といっても路線はひとつづき。荒川車庫前と王子駅前が重複していたわけである。
 1路線なのに、重複区間を越えて乗るには乗換えが必要になり、運賃も別々に払わなければならず、不便に思っていたところ、1974年10月に「荒川線」という名のもとにめでたく統合されたのであった。ここに紹介するのは、その間の2年間の写真である。

撮影:1972年11月~1974年3月,2000年5月



三ノ輪橋 三ノ輪橋終点。実に趣深い場所であった。
 1972.11

* 写真にポインタを合わせると、この28年後の様子が見られます。


三ノ輪橋から町屋駅前までは、町工場やアパートが立ち並ぶ中を走っていった。いまでは、このあたりの線路の両側にバラが植えられている。
車両は、改造前の7500形。
 1972.11
荒川区役所付近


荒川7丁目 荒川七丁目で信号を待つ7000形。
このあたりは、ずいぶん雑然とした雰囲気であった。
 1972.11


雪の日の町屋一丁目(現・町屋駅前)の三ノ輪橋方面乗り場(現在は道路の反対側にある)。
実は、町屋は私の通学経路であって、ここで京成から地下鉄に乗り換えていた。
で、たまに気分が乗ると(?)、都電に乗って寄り道をしていたのだった……。
 1974.3
町屋駅前


町屋駅前 上の写真のホームから、反対側(早稲田方面)の乗り場を見たところ。京成の町屋駅はこの奥にある。
早稲田方面の乗り場は商店街と一体化しており、店先をかすめて電車がゴロゴロと走っていくという印象だった。活気と賑わいがあって、ここを歩くのは楽しかった。
 1972.11

* 写真にポインタを合わせると、この28年後の様子が見られます。


町屋一丁目~町屋二丁目付近の商店街。このあたりには、まだ昭和30年代の残り香がただよっていた。
 1973.3
町屋2丁目付近


 



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