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私鉄ローカル線
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タイトル

廃止直前の筑波駅。観光地の玄関らしく構内は広かったが、観光客らしき姿は見えず、すっかりさびれてしまっていた。
車両はキハ301。1ページ2枚目の写真の列車に乗って、土浦駅から筑波駅までやってきたのであった。

1987.3

廃止間近の筑波駅

筑波山をバックに走る

筑波山麓をゆくキハ504。  1987.3


上の写真の少し手前、広々とした野原のなかに、こんな踏切があった。

1987.3

筑波付近の踏切にて

真壁駅のキハ762

真壁駅に停車中のキハ762。筑波線には真鍋と真壁があったので、最初は混乱した。
土浦発で真壁折り返しの列車も何本かあったように記憶している。

1976.4


車内の後方の窓から、駅で交換した列車の後ろ姿を見送る。車両はキハ503。

1976.4

車内から交換列車を見る

岩瀬駅

終点の岩瀬では、国鉄水戸線と連絡している。EF80に引かれた水戸線の客車列車が到着したところ。現在、筑波線の線路跡はサイクリングロードとなっている。

1976.4




  筑波山という観光地を控えていることから、筑波線がこれほど早く廃止になるとは思っていなかった。もっとも、道路が整備された状況のもと、わざわざ常磐線に乗って土浦で乗り換えるといった時間も運賃もかかるルートを使う人は、すでにいなくなっていたのだろう。そもそも、筑波山に行く観光客自体が減ってしまったのだからしかたがないかもしれない。
  せめては、つくば学園都市がこの路線の近くにつくられていたらよかったが、それも過ぎたことである。
 初めて筑波線に乗ったのは関東鉄道時代の1974年3月だから、まだ高校2年生。1~2ページ目の写真にもあるように、真鍋機関区にはまだまだ古典的な車両が、きれいに整備されて残っていたのが印象的だった。朝の通勤時間ならば、そうした古い車両が営業運転していたところを見られたかもしれない。
 いずれにしても、「あそこに行っておけばよかった」と後悔ばかり先立つこの趣味ではあるが、この筑波線は「行っておいて本当によかった」と今になってしみじみ思う路線の一つである。

-参考資料-
『私鉄紀行 からっ風にタイホーンが聴える(上)』(湯口徹著 プレス・アイゼンバーン)

車内補充券


 


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