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蔵出し鉄道写真館
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只見線 (1972年8月)


第一只見川橋梁 第三只見川橋梁?
 

小海線に撮影に行った翌週、今度は夜行列車で只見線に行った。いやはや、元気だった。高校1年生だったからね。
71年2月に訪れた只見線は全通前の小出~大白川だったし、71年7月に訪れた全通直前の会津線(只見線会津口)は、ついでの訪問のようなものだったから、このときが実質的に初めての只見線(会津口)の訪問といってよい。

只見線は橋がたくさんあってフォトジェニックだという情報は雑誌から仕入れていたが、なにせ撮影日は実質1日の強行軍である。まともに撮れたのは、このページの写真程度であった。ちなみに、このときのフィルムはネガカラーなのだが、最新の補正技術でずいぶんきれいに再現できるのは驚きだ。

上左は、会津檜原(現・会津桧原)~会津西方にある第一只見川橋梁。川面に映る姿も美しい……のだが、平凡な写真に飽きた私は、手前にススキをあえて入れている。
上右は、たぶん会津宮下~早戸にある第三只見川橋梁。標準レンズでは、あまりに遠すぎて列車がほとんど見えないけれど、一応写っている。


会津宮下駅 会津宮下駅
 

これは、会津宮下駅に到着したC11 178号機。ヘッドライトはシールドビーム化されているようだ。貨車を引いてくるかと思ったら、単機でやってきた。ちょっとサマにならないが、タブレットの受け渡しも撮影できて、まずまずである。

最近、この駅を再訪する機会があったが、ほとんど当時と変わっていないことに驚く。また、宮下駅周辺はかつての会津西街道の拠点となる宿場だったようで、今でもそれなりの賑わいを見せている。
それにしても、ネガフィルムとは思えないすっきりとした色に補正できた。


会津宮下駅 第二只見川橋梁
 

会津宮下に到着したC11は、さっそく機関助手が石炭をならしていた。C11はテンダー(炭水車)を持たないタンク車なので、狭い場所での作業は難しかったのではないかと思う。

右は、会津西方~会津宮下にかかる第二只見川橋梁。会津西方を出るとすぐのところにあった。
下流にダムがあるため、只見川は満々と水をたたえ、鮮やかな緑色をしていたのが印象的だった。


会津西方駅 会津西方駅
 

会津西方駅である。只見線は、この駅の両側で只見川を渡っている。しかも、道路橋は桧原側にはしばらくなく、宮下側にも3km近く行かないとなかった(今はその手前に新しく橋ができた)。ちょっとした陸の孤島だったのだ。

そんなわけで、第二只見川橋梁の写真を撮ったあとは、しばらく駅のまわりをうろうろ。何もないところだったが、好ましい雰囲気の駅舎やホームを見ながらのんびり過ごしたのを覚えている。
駅からさんざん歩いて、橋を渡る列車を撮ったよそゆきの写真よりも、この上右の写真が一番気に入っている。当時のローカル線の雰囲気がよく表現されているのではないかと自画自賛。C11 315号機のヘッドライトはシールドビームである。この蒸気列車に会津柳津まで乗ったと記憶している。


会津西方駅 会津坂下駅?
 

その前に会津西方付近で撮った単機のC11 241号機。こちらは、ヘッドライトが大型の好ましい形だった。
右の写真は、はたしてどこで撮ったのか記憶にないが、会津板下あたりだろうか。機関車はC11 199号機である。


会津若松駅 会津若松駅
 

そして、会津若松駅構内。これは、駅の南側にある踏切あたりから撮ったような気がする。
当時の地方の中心駅構内は、どこもこんな感じで、旧型客車がはいて捨てるほど留置されていて、その脇を蒸気機関車が行ったり来たりしていたものだった。
下の写真は、会津若松駅に到着した只見線か会津線の旅客列車である。

  会津若松駅
2013年8月作成



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