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東京 -昭和の記憶-
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タイトル
 

 1956年に墨田区に生まれ育った私にとって、浅草は身近な繁華街であった。母は、婚家の生活でたまったストレスを発散させたかったのか、父方の家が営んでいた工場が休みになる日曜日には、決まって私の手を引いて浅草に出かけたものだった。そして、その帰りには、やはり墨田区にある母の実家に立ち寄ったのである。

  やがて、その工場もなくなってしまい、私が小学生になると、わが家はその浅草の片隅にある小さなアパートに住むことになる。学校は観音様の裏にあったので、ときには足を伸ばして花やしきや新世界(いまでは場外馬券場になってしまった)あたりをうろうろしていたものだった。学校では「あのあたりは、子どもどうしで行ってはいけません」と言われていたのだが。

 当時は、浅草が一番寂れていた時期で、三社祭も今にくらべると、町内会の祭りといった風情であった。私が通っていたのは区立の小学校だったが、三社祭のある土曜日は授業が2時間目で終わり。さすが浅草である。まだ、戦争で焼け落ちた五重塔が再建されていなかったころの話だ。五重塔の代わりではないだろうが、「スペースタワー」なる乗り物が、突如として観音様の裏に建ったのは、小学校高学年のころである。
 残念ながら、そのころの写真は撮っていないが、20代になって浅草を再訪したときの写真を中心にお目にかけたい。

*写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2007年の写真が見られます。


浅草公園六区・世界館

六区の北の端、花やしきやひさご通りに近い「浅草世界館」。
右手の道を進み、国際通りを渡った向こう側に国際劇場があったが、この前年に閉館している。浅草ビューホテルの工事が始まっていたころだろう。
この浅草世界館は、建物こそ変わったがいまも健在だ。

1983.6(2007.12)


上の写真の右側にあったのが、浅草東映。看板の横山やすしも懐かしい。普段は閑古鳥の鳴いていた六区も、年末年始にはこのくらいの人出はあった。
この浅草東映は、現在ではパチンコ屋になっている。

1983.12(2007.12)

浅草公園六区・浅草東映前

浅草公園六区・浅草新劇場前

トップの写真の左側、浅草世界館と棟続きで浅草新劇場があった。
ちなみに、現在は六区という地名だけが有名になっているが、以前は、観音様を含む浅草公園が一区~七区に分けられていた。そのうちの映画館街が六区だったというわけ。

1983.12(2007.12)


六区映画館街を南に進むと、東京クラブ、浅草常盤座といった優美なビルが建ち並んでいたものだった。

1983.12(2007.12)

浅草公園六区・トキワ座、東京クラブ付近

縁台将棋

五重塔通り近くで見かけた縁台将棋。

*この2枚の写真には、現在との比較はありません。

1978.3(2007.12)

雷門の前で店を開いていた羅宇屋さん。この人が、関東最後の羅宇屋、中島氏ということを知ったのはその後のことである。

1979.12(2007.12)

羅宇屋

取り壊し中の仁丹塔

偉大なるハリボテ・仁丹塔は、老朽化によって1986年に取り壊された。関東大震災で倒壊した凌雲閣(通称・十二階)を模してつくられた塔であった。

1986.6(2007.12)


 


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