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1956年に墨田区に生まれ育った私にとって、浅草は身近な繁華街であった。母は、婚家の生活でたまったストレスを発散させたかったのか、父方の家が営んでいた工場が休みになる日曜日には、決まって私の手を引いて浅草に出かけたものだった。そして、その帰りには、やはり墨田区にある母の実家に立ち寄ったのである。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2007年の写真が見られます。 |
六区の北の端、花やしきやひさご通りに近い「浅草世界館」。 1983/06(2007/12) |
上の写真の右側にあったのが、浅草東映。看板の横山やすしも懐かしい。普段は閑古鳥の鳴いていた六区も、年末年始にはこのくらいの人出はあった。 1983/12(2007/12) |
トップの写真の左側、浅草世界館と棟続きで浅草新劇場があった。 1983/12(2007/12) |
六区映画館街を南に進むと、東京クラブ、浅草常盤座といった優美なビルが建ち並んでいたものだった。 1983/12(2007/12) |
五重塔通り近くで見かけた縁台将棋。 1978/3(2007/12) |
雷門の前で店を開いていた羅宇屋さん。この人が、関東最後の羅宇屋、中島氏ということを知ったのはその後のことである。 1979/12(2007/12) |
偉大なるハリボテ・仁丹塔は、老朽化によって1986年に取り壊された。関東大震災で倒壊した凌雲閣(通称・十二階)を模してつくられた塔であった。 1986/6(2007/12) |
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