トップページ
東京 -昭和の記憶-
page 1 2

 
タイトル 
 

 1990年代ごろまでは、東京23区内でも、あちこちに古き良き農村風景が残されていた。とくに板橋区や練馬区には、武蔵野の面影がそこここに感じられたものだった。これはなくならないうちに写真に残しておかないということで、すでに平成の時代になっていたが、まず向かったのが高島平の南、かつての徳丸ヶ原である。
 なかでも印象に残ったのが、現町名で大門(だいもん)と呼ばれる町。屋敷森に囲まれて重厚な農家が点在しており、周囲の高島平、徳丸、四葉、赤塚が急速に宅地化されていくなかにあって、まるで桃源郷のように感じられた。

 板橋の大門というと、国指定重要無形民俗文化財の祭りがある赤塚諏訪神社や、付近の石仏、石碑を記録しているサイトはあるが、当時の町並みを撮った人はあまりいないようで、そこそこ貴重な記録ではないかと思う。当時の雰囲気を味わっていただければ幸いである。
 なお、大門の住所は丁目がなく、三角形をした町域に大門1番から16番が割り振られている。隣接する四葉~徳丸、赤塚~成増については、改めて紹介したい。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2015年の写真が見られます。


須田さつき園

大門7番にあった「須田さつき園」。入口の木が見事。
2013年に訪れたときは、手前の部分こそ駐車場になっていたが、奥の母屋は昔のまま残っていた。
2015年に訪れると、すでに建物は取り壊されていた。マンションが建つのだろうか。

1992.5(2015.5)


上の「須田さつき園」の向かい、大門6番にあったのがこのお宅。立派な農家で、どうやらこの写真の手前側にあるのが母屋のようだ。写真の建物は離れか、親族の住まいだろうか。
2015年の写真とくらべてみると、建て直されているように見える。

1992.5(2015.5)

大門6番の旧家

大門6番の南側

上の写真の道を直進して、突き当たりにある浅間神社の境内から振り返って撮った写真。
最初の訪問から3年たって、周囲には新しい住宅が増えてきた。

1995.1(2015.5)


2番目の写真の農家を、反対側からみたところ。ぶどう棚が並んでいる。現在では、夏期の日中にぶどう園を公開しているようだ。
写真左が母屋。中央奥の建物が、2番目の写真に写っている建物である。

1992.5(2015.5)

小さなぶどう畑

浅間神社

大門というと「田遊び」の祭りが行われる赤塚諏訪神社が有名だが、散歩好きにはこの浅間(せんげん)神社も見逃せない。がらんとした境内には富士塚(右奥)が築かれている。境内には大きなお堂もなく、片隅に小さな祠がいくつか建っているだけ。
新しい写真では、左の小さな鳥居の奥に新大宮バイパスの側壁がある。

1992.5(2015.5)


 


page 1 2 次ページへ ▼

■トップページ | 「東京 -昭和の記憶-」表紙に戻る■

「定点写真でめぐる東京と日本の町並み」表紙 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』
(青春出版社)
1,550円+税
2019年10月発売!