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東京 -昭和の記憶-

 
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 羽田というと、わたしより若い年代の人間にとっては、空港のある町というイメージでしかないと思う。だが、海に囲まれたこの土地は、かつて「羽田猟師町」(漁師町ではない)とも呼ばれ、伝統的な文化が残された漁業の盛んな町だったのだ。
 今でも、年配の漁師さんたちが細々と、あなごやあさりの漁を続けているとのことだが、私がはじめて足を運んだ1980年ころは、空港と町とをへだてる海老取川あたりに、まだまだ漁村の雰囲気が残っていたものだった。

『空港のとなり町 羽田』(岩波書店)によれば、敗戦直後の1945年9月13日に羽田の飛行場がGHQに接収され、21日には海老取川以東(つまり、現在の空港構内)に住んでいた約1200世帯、3000人に対して、48時間以内の立ち退きが命じられたという。羽田空港を利用するときには、そんな歴史も少しは思い出してみてはいかがだろうか。同書には、かつてのいきいきとした羽田の町の様子を伝える写真が、多数掲載されている。

*写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2008年の写真が見られます。


海老取川と多摩川

海老取川が多摩川へ出る五十間鼻(右側)を弁天橋の上から見る。対岸の川崎市側には、いすゞ自動車の大きな看板が見える。
現在、左側の岸には大きな鳥居が立ち、ちょっとした憩いの場となっている。

1982.8 (2008.11)


弁天橋の上から、上の写真の反対側を見る。堤防は今とくらべて低く、漁船の数が多かった。川岸やビルの上に大きな看板が立っているのは、飛行機内の乗客にも見えるようにしたため。

1980.11 (2008.11)

弁天橋から見た海老取川

大きな看板

こんな大きな看板が並んでいた。今では滑走路が沖合に移転したため、広告効果がなくなり、看板は撤去されてしまった。

1982.8 (2008.11)


正面の小さな橋が弁天橋。当時はその脇に交番があった。左右に走るのが環状8号線。
現在、交番は道の反対側、つまり写真を撮っている背の位置に移転した。

1980.11 (2008.11)

羽田空港構内

弁天橋

弁天橋から空港構内に入る。当時はターミナルビルが近くにあり、たまに歩いている人を見かけたものだった。
今ではジョギングの人はいるけれど、歩いてターミナルビルに行く人はいない。

1980.11 (2008.11)


海老取川の対岸から空港を見る。当時は滑走路がすぐそばにあった。
戦前は、この空港の敷地に町があり、たくさんの人びとが生活していたのである。

1980.11 (2008.11)

海老取川

空港線旧鉄橋

京浜急行の鉄橋が見える。鉄橋の左側に旧羽田空港駅があった。戦前は、この鉄橋をわたって、当時の穴守稲荷参道前にあった穴守駅(現在の羽田空港構内)まで電車が通っていた。
現在の写真に写っている橋は、新設された天空橋。京浜急行は地下化されて、かつての路線をなぞって空港に向かっている。

1980.11 (2008.11)


1991年まで、海老取川の蒲田寄り(現在の天空橋近く)に羽田空港駅はあった。空港までのバスは便数が少なく、タクシーもめったに止まっておらず、この路線を使って空港に向かう人はほとんどいなかった。

1982.8 (2008.11)

京浜急行・旧羽田空港駅
2008.11月作成
 

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