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東京 -昭和の記憶-
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タイトル
 

 六本木といえば、今やよくも悪くも賑やかで雑然とした繁華街になったが、1980年代ころまでは、ちょっとおしゃれで気取った町だった。そんな町の片隅にあったのが、麻布・北日ヶ窪町である。今の六本木六丁目の大半にあたる町だ。2003年4月に、森ビルの手によって「六本木ヒルズ」という巨大なビル群が建った場所でもある。
 1983年にここを訪ねたときは、六本木の中心部のほんの目と鼻の先に、こんな静かで昔ながらの住宅街が存在するというのは本当に奇跡とさえ感じられた。
 当時のテレビ朝日本社のすぐ南にあるのだが、開発から取り残されたのだろう。わくわくドキドキしながら歩いたものだった。

 東京のあちこちにある「窪町」と同じく、周囲よりも低くなっているので、旧町名には「窪」という字がついたのだろう。そこが、なんと町ごと六本木ヒルズという巨大な建築物群に姿を変えたのである。「窪」は「ヒル(丘)」になってしまったのだ。
 もし六本木ヒルズを訪ねる機会があったなら、その足の下にはこんな町があって、人びとが静かに暮らしていたということを思い出してほしい。

「六本木ヒルズになった町」旧写真の位置を特定するにあたっては、西麻布にお住まいの「ウサギ横丁のMさん」にアドバイスをいただきました。

*写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2013年の写真が見られます。


六本木ヒルズになった町 ---- 麻布北日ヶ窪町
子どもたちが遊ぶ路地

子どもたちが野球をしていた路地は、ブランドショップが建ち並び、車が行き交う通りと変わってしまった。
右側が六本木6丁目12番、左側が13番。

1983.10 (2013.11)


上の写真からちょっと後ろに引いたところ。画面ではわかりにくいが、中央左の電柱の奥に東京タワーが霞んで見えている。

1983.10 (2013.11)

子どもたちが遊ぶ路地

板壁の民家

個人タクシーを営んでいた板壁の民家も、すっかり様変わりしてしまった。上の写真の右側にあった家。

1983.10 (2013.11)


窪地の東端。正面には階段が見える。電柱には「六本木6-11」との表示。この階段を上り左(西方向)に曲がると、上の個人タクシーの家があった。赤枝六本木診療所は右側の建物。
今では警備員の姿ばかりが目立ち、なんとも居心地が悪い。

1983.10 (2013.11)

階段の見える路地

玄碩坂(げんせきざか)

これは玄碩坂(げんせきざか)。テレビ朝日通りから、だらだらと下り坂が続いていた。ワクワクする導入である。
 アドバイスをくれた「ウサギ横丁のMさん」によれば、「この坂下は、通称『藪下(やぶした)』と言って、金魚屋さんの養殖池があったり、また崖下の道の側溝に湧き水があってそこで金魚が泳いでいるといったのどかな街でした」とのことである。

1983.10 (2013.11)


上の玄碩坂とは反対側にあたる東側からの町への導入。右の石組みの上には東京都立城南高校(現・六本木高校)、正面の建物の右には港区立南山小学校がある。

1983.10 (2013.11)

都立城南高校(現・六本木高校)脇の坂

 


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