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東京 -昭和の記憶-

 
タイトル
 

 日本橋を起点とする中山道は、東大農学部前にある本郷追分(駒込追分)で左に回り込み、日光御成道と分かれる。
  当然、国道17号線を引き継ぐ中山道のほうが格が上かと思いきや、本郷追分を過ぎると道幅も狭くなり、交通量も一気に減る。そして、本郷通りという通称も日光御成道に譲り、白山上でふたたび旧白山通りという名前がつくまでは、無名の通りとなってしまうのである。
  1980年代のはじめに、たまたまここを通ったときは、両側に風格のある店舗や家屋が建ち並んでいて驚いたものだった。いま思うと、そのときすぐに写真を撮ればよかった。結局、カメラを持ってここにやってきたのは1988年になってからのことである。
 隣接する「本郷」については、こちらで紹介しています。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2004年の写真がを見られます。


こぢんまりとした看板建築の建物が並ぶ

本郷追分~白山上の両側は、旧・本郷区駒込東片町である。新住居表示では、西片・白山(西側)と向ヶ丘(東側)に分かれてしまった。
西片を残して東片町を消滅させて、旧・東片町を新・西片に組み入れたのはいかがなものか。

1988.1 (2004.5)


2004年現在、まだまだ一部には往時のままの建物が残っている。

1988.1 (2004.5)

異彩を放つ事務所

風格のある八百屋

すでに白山上に近い側ではマンションが建ちはじめ、このような民家は本郷追分側にわずかに残るのみであった。「誠実 新鮮 野菜 果実」というキャッチフレーズが泣かせる。

1988.1 (2004.5)



2004年に訪ねると、名前のなかったこの通りの両側に「R17 ふれあい通り」(R17は国道17号線の意)なる幟が立てられていた。うーん、このネーミングは……。せめて、自動車と歩行者が触れ合わないように祈りたい。

1988.1 (2004.5)

木造の民家が建ち並ぶ

妻面を道路側に向けた木造家屋

この家だけは妻面が道路に向いており、しかも2階に窓がないものだから、一種独特の雰囲気を漂わせていたものである。2004年に探し当ててみると、そこは駐車場になっていた。

1988.1 (2004.5)

2004年5月作成

 

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