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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 
根津神社入口あたり

ここから4枚の写真は、不忍通りの南西側(根津神社側)である。
この写真は根津1-24。根津神社のすぐそばである。この付近にも、板壁の家がたくさん残されていた。
2011年に訪ねてみると、左の家があったところは、日本医大の大学院棟となっていた。

1989.12(2011.5)


こちらは、根津神社入口を右手前側にした写真。右手の建物はどこか洋館風である。

1989.12(2011.5)

根津神社入口あたり

根津教会

正面のとんがり屋根は根津教会。2011年もそのままの姿で建っていた。

1989.12(2011.5)


上の写真の地点から直進。この私道(たぶん)を突き抜けると、不忍通りに出る。
宅急便の立て看板も変わった。

1989.12(2011.5)

根津教会近く

▼ここからは、根津駅前(根津一丁目)の交差点の南側。台東区池之端との境界あたりである。池之端にも古い家や路地が、驚くほど残っていたものだった。
1988.3(2011.5)

 
根津と池之端の境界あたり
日増屋ビル

  ▲不忍通りをはさんで、向かい側にある日増屋ビルを望む。よくよく見ると、じつに味わい深いビルである。
1988.3(2011.5)

料亭 行徳

料亭「行徳」は、池之端4-24にあった。突き当たりの根津2-14には、文化財級(たぶん)の和風建築である茨城県会館があったが、すったもんだのあげく、あっけなく取り壊されてしまった。現在は、介護付き有料老人ホームと高級そば店になっている。

1988.3(2011.5)


最後に、根津のランドマーク。風情のある木造3階建ての串揚げ「はん亭」(奥の店)。
手前の店には「漆器小売 風貴堂」と書かれているが、現在は「茶房 はん亭」である。当時も「はん亭」の順番待ちでお茶を出していた。
不忍通りの拡幅でどうなるかと思っていたが、なかなかおしゃれに処理した感じである。

1990.8(2011.5)

根津はん亭入口
2011年6月作成
 

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