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東京 -昭和の記憶-

 
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 新宿といえば、東京いや日本を代表する繁華街だ。でも、私が小学生のころの新宿は、まだまだ戦後の面影をあちこちに残していたものだった。
  そんな場所が1つ消え、2つ消えして、昭和の末まで残っていたのが、新宿駅南口と東口の間にあった(現・東南口付近)、いわゆる「御大典広場」の周囲だった。

  いまでは、若者たちがひっきりなしに行き交うこのあたりも、つい20年ほど前までは、休日ともなるとひっそりとしていたなんて、若い人たちには信じられないだろう。

  今回は、それに加えて、東口から歩いて約10分の新宿二丁目にあった、遊廓跡の木造建築もご覧にいれよう。

*写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2006年の写真が見られます。


現・新宿東南口付近

いま、東南口を出たところにある広場のあたり。右側が新宿駅。画面の奥を左右に甲州街道が走っている。正面には、御大典広場の店々の裏側が見える。
このあたり、昭和20年代ころは一般人は近づいてはいけない危険な場所として知られていたという。

1988.10 (2006.5)


新宿駅南口付近に、昭和の末まで残っていた戦後の雰囲気。最後は、飲み屋と金券ショップが目立っていた。東南口をつくる際に、この小山を切り崩して広場にした。下の写真が昭和天皇御大典記念塔。昭和3年に、昭和天皇即位を記念してつくられたもののようである。

1987.1 (2006.5)

御大典広場
御大典記念塔

甲州街道跨線橋

新宿駅南口を出て、甲州街道を東側(新宿三丁目方面)に歩く。
この階段が撤去されて人の流れが変わったため、現在は通る人が少ない。

1987.1 (2006.5)


上の写真から、さらに東に100メートルほど歩いた地点。
いつのまにか、周囲の建物も様変わりしてしまった。

1987.1 (2006.5)

甲州街道跨線橋

南口・台北飯店

では、いったん甲州街道を降りて東口に向かおう。
この台北飯店では、エスニックブームのはるか昔から、本場の屋台料理を味わわせてくれた。薄暗く、まさに戦後そのものの店内で食べた腸詰が懐かしい。
その後、東口の新しい店舗に移転したが、それもいまはない。現在は、息子さんが後を継いで調布駅北口で同名の店を営業している。

1988.10 (2006.5)


東口に向かう通りの左側。「日本晴」という名の飲み屋がある建物をよく見ると、「共立運送 新宿支店」という看板の文字が読める。

1988.10 (2006.5)

共立運送跡

東口から南口方向を見る

上の写真から反対側を振り返ったところ。トップの写真と同じ方向を見ている。
左側に見える中古オーディオショップ「セカンドハンズ」は、2006年のいまも健在。地下には高級中古オーディオが揃っており、ここでアンプやCDプレイヤーを買ったっけ。

1988.10 (2006.5)


これは、上の写真から500メートルほど東に歩いた新宿二丁目。不動通りに、こんな木造三階建ての住宅があった。のちに、これがかつての遊廓跡と知る。

1987.6 (2006.5)

新宿二丁目遊廓跡

新宿二丁目遊廓跡

狭い敷地によくぞ建てたと感心する。現在は、駐車場となっているが、クルマが幅1台分しかとまれない。
右側の建物もまた味がある。こちらはビルになった。

1987.6 (2006.5)


■初台から新宿南口方面を眺める   *この写真には現在との比較はありません。
初台から新宿南口方面を見る

初台駅北側、甲州街道に面したマンションに住んでいた友人の部屋の窓から、新宿南口・西口方面を見たところ。現在、この写真の手前側には、新国立劇場、東京オペラシティが建っている。おそらく、同じ場所からは新宿の高層ビルが見えないだろう。

1982.6

上の写真を拡大。向こうに見える角筈のガスタンク跡には、現在新宿パークタワーが建っている。
手前に見える古めかしい建物は、東京工業試験所。敷地に対して斜めに建っているのがおもしろい。右奥の淀橋郵便局を含めて、この一帯は新国立劇場、東京オペラシティに姿を変えた。

初台から新宿南口方面を見る

2006年5月作成
2009年8月更新(御大典記念塔の写真追加)
2010年12月更新(初台からの俯瞰写真追加)

 

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