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東京 -昭和の記憶-
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タイトル
 

 銀座からほど近い場所にありながら、築地や湊(旧町名では、築地、明石町、新富町、入船町、湊町など)にかけての一帯は、空襲による戦災を免れたために、戦前からの味わい深い木造住宅が数多く残されていた。

 改めてそんな町を撮ろうとしたのは、昭和の終わりになってからのことである。一部には平成になってからの写真もあるが、その変化の様子、あるいは変化していない様子を見ていただきたい。21世紀になっても、その一部が残されているのは奇跡といってよいかもしれない。

 隣接する地区については、「京橋~銀座一丁目」「有楽町~銀座」「月島~佃島」が公開済。

*写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2018年の写真が見られます。


築地四丁目交差点の「丸ワ商会」

銀座四丁目交差点から晴海通りを500mほど東に行った築地四丁目交差点。その角にあった「丸ワ商会」の建物は、昭和7年に建てられたとのことで、角地ならではのユニークな形をしている。店内では普段使いの陶器が数多く売られていた。
築地本願寺はこの左側すぐ。

1992/12(2018/11)



築地市場の東側の入口にあった海幸橋(かいこうばし)。下を築地川の支流が流れていた。右に見えるのは波除神社。
川は埋め立てられ、海幸橋は2002年に撤去された。

1992/12(2018/11)

築地市場前の海幸橋

築地市場前の海幸橋

海幸橋の北側から築地市場を望む。左が波除神社。
築地場内市場は2018年に閉鎖され、新しい写真を撮ったときには取り壊し作業がはじまっていた。

1992/12(2018/11)


築地一丁目にある「宮川食鳥鶏卵株式会社」の銅板張りの立派な3階建て。隣接する「つきじ宮川 本廛」とは親戚の関係にあるらしい。
2018年も健在。

1986/11(2018/11)

宮川食鳥鶏卵株式会社

▼築地二丁目の路地にずらりと続く味わい深い板壁の家々。
1986/11 (2018/11)

築地二丁目の路地 築地二丁目の路地

▲4軒続いていた板壁の家のうち、手前から3軒目が建て直された。中央の店は鉄板焼き屋となっている。
1986/11 (2018/11)

「角山本店」と「とゝ屋」

築地市場の北側、勝鬨橋の近くの晴海通り。中央の路地をはさんで、左が大正13年に建てられた麸屋の「角山本店」、右の木造三階建てが鳥料理の「とゝ屋」。
「角山本店」はビルになって営業中。「とゝ屋」も健在だが、昔より建物が低くなっている。

1992/11(2018/11)


 


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