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東京 -昭和の記憶-
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タイトル
 

 雑司ヶ谷は、山手線内側の北東部、池袋駅の南東に広がっている町だ。かつての雑司ヶ谷町は一丁目から七丁目まであり、現在の町名でいうと、雑司が谷(”ヶ”の表記が”が”になった)に南池袋を加えて、さらに山手線の外側の西池袋の一部にも及ぶ大きな町であった。
 現在では、雑司が谷霊園(これは”が”)も都電雑司ヶ谷(これは”ヶ”)電停も、住所が南池袋になってしまったのは、ちょっと味気ない。
 それはともかく、現在の雑司が谷(一丁目~三丁目)の大半は、幸いにも戦災で焼けなかったために、少し前までは戦前の山の手を思わせる静かな家並みと、うっそうとした木々が残っていたものだった。現在も、その雰囲気はそこかしこに残っているのだが、変化のスピードはどんどんと速くなっているような気がする。

 1990年代半ばには、私個人もわずか半年ほどだが、雑司が谷一丁目の静かな住宅地に住んでいたことがあった。今でも、ときどき都電に乗って散歩に向かう懐かしい土地なのである。

*写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2013年の写真が見られます。


雑司ヶ谷鬼子母神参道

都電の停留所付近から雑司ヶ谷鬼子母神に至る参道は、道の両側に木が繁っているものの、ごく普通の民家や商店が並んでいて、生活道路のようでもある不思議な空間だった。
商店が減って、アパートや民家ばかりになったが、その雰囲気は今も変わらない。
写真の手前側が鬼子母神。

1988.8(2013.2)


突き当たりが雑司ヶ谷鬼子母神。上の写真とは反対側の入口で、道の手前側は池袋に通じている。
正面に見える階段は、現在は封鎖されていて、その向かって右側にスロープができている。

1992.7(2013.2)

雑司ヶ谷鬼子母神入口

雑司ヶ谷鬼子母神境内

雑司ヶ谷鬼子母神の境内。かつては、こんな遊具が並んでいた。ほとんど変化のないように思える境内も、20年でずいぶん変わったものだ。

1991.1(2013.2)


右側は都電の線路。鬼子母神前電停が、かすかに見える。その後、この道路の下に地下鉄副都心線が建設され、都電の線路の両側は、広々とした道となった。
それにともなって、線路の右側の建物は立ち退きとなり、左側も道路が拡幅されたことで、一部が立ち退きとなった。

1992.7(2013.2)

都電鬼子母神前付近

都電鬼子母神前電停

鬼子母神前電停。周辺は静かな町だったが、副都心線開通・雑司が谷駅開業によって、だいぶ雰囲気が変わってきた。

1992.7(2013.2)


鬼子母神前電停のすぐ横。かつては、電車を降りると、うなぎややきとりの香りが、ぷーんと漂って来たものだった。
道路建設によってこの店舗は取り壊されたが、豊島屋は近所に移転して営業を続けている。

1992.7(2013.2)

都電鬼子母神前

雑司ヶ谷・弦巻通り付近

雑司ヶ谷の中央部を東西に貫くように、弦巻通りという昔ながらの商店街がある。くねくねとした道は、かつての弦巻川の上につくられたことによるらしい。
その弦巻通りは、写真奥を左右に走っている。これは、そこから一歩南側に入ったところから撮ったもの。ここは、20年前とまったく変わらず、商店が営業している。

1992.7(2013.2)


弦巻通りから北側に入ったあたり。突き当たりを左に行くと、急な坂道となって雑司が谷一丁目の台地に向かう。

1992.7(2013.2)

雑司ヶ谷・弦巻通り付近

 


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