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イタリア町めぐり

チヴィタ遠景 2004年10月 地図


 イタリアの爪先にあたりるカラブリア州には、アドリア海対岸のアルバニアにルーツを持つ人びとが数多く住んでいる町がある。その一つが、このチヴィタ(Civita)だ。
 チヴィタとは、ラテン語で「町」を意味するキビタス(Civitas)に由来することばなので、イタリア各地に同名の町がある。だが、たいていは、Civita CastellanaやCivita di Casciaのように、ほかと区別するために「……のチヴィタ」という言い方をしている。最近日本でも名が知られるようになったCivita di Bagnoregioもその一つだ。

 しかし、この町はきっぱりとチヴィタ。ただ、それだけではほかの町とまぎらわしいので、「Civita(CS)」と表記して「コセンツァ県(略号がCS)のチヴィタ」であることを示すことも多い。
 ちなみに、県道から町への分岐点には、イタリア語の「Civita」という表記と並んで、アルバニア語の「Çifti」という表記があった。もしかすると、アルバニア語由来の地名なのかもしれない。
 町なかにある小さなアルバニア文化博物館の親爺さんに聞いてみると、「この町の名前は鷲の巣を意味している」と誇らしげに答えてくれたが、はたしてそれが本当なのかどうか不明である。
 フランスで丘上の村を「鷲ノ巣村」と呼んでいるのと、アルバニア人のシンボルが「双頭の鷲」であることから、そんな話になっているかもしれない。


休日に行くと、中心部の広場で市が開かれていた。
アルバニア文化博物館は、この写真の右枠外の手前側にある。

2006.9

中心部の広場



 プーリア州やシチリア州を合わせると、アルバニアにルーツを持つ人は、少なく見積もっても数十万人、統計によっては100万人以上にのぼるという。その多くが、オスマントルコの圧政から逃れてきた人びとの子孫である。
 とくに、カラブリア州北部のカストロヴィッラリ周辺には、そんな人びとが集って住んでいる町が多い。そこでは、いまだに日常会話にアルバニア語を使っている人や、ギリシャ正教の教会があったりする。そんなアルバニア文化の中心地のひとつが、ここチヴィタなのだそうだ。

 もちろん、今ではそうした人たちもイタリア人の一員である。イタリア語を使い、まぎれもなく自分はイタリア人であると考えている。しかし、その一方で、自分たちの祖先がアルバニアから渡ってきたという意識を強く持っている人も多い。
 歌手や役者でアルバネーゼという姓の人をよく見るが、まさにこれは自分がアルバニア人といっているようなもの。女性ポップス歌手として有名なアンナ・オクサ(Anna Oxa)のオクサという姓は、長い間社会主義アルバニアの第一書記を務めていたホッジャ(Hoxha)と同じ姓のイタリア語読みである。


アルバニア語の標識

町なかには、あちこちにアルバニア語の標識が。たいていはイタリア語と2カ国表記だが、アルバニア語だけのものもあった。
Kroiは噴水、蛇口という意味らしい。この下に湧き水があった。

2004.10


坂道が連続する旧市街を歩いていると、こんな移動青果店が店を開いていた。

2004.10

移動青果店


 2004年10月に妻とここを訪れたときのこと、昼休みとはいえ、こんな田舎の小さな町なのに、やけに人が多い気がした。
 不思議に思いながら、中心部の広場に近いバールに足を踏み入れてビールを頼むと、周囲のおじさんたちから、いろいろと話しかけられた。そのなかに、こんなことを言う人がいた。
「おお、あんたがたは日本人か。オレは昔、歌の仕事をやっていたんだけど、サンレモ音楽祭に出た○○と会ったことがあるよ」
 ○○がなかなか聞きとれなかった。サンレモ音楽祭に出演した日本人歌手というと、1965年に「恋する瞳(L'amore ha i tuoi occhi)」という歌で、「Abbraciami, non lasciarmi abbraciarmi..」と、意味もわからずに歌ったという割には、とても美しい発音だった伊東ゆかりを思い出すが、彼の言う名前はちょっと違っていた。
「えっ? 誰?」
「ヨーコキシだよ」
「えっ?」
「ヨーコ・キシ!」
 3、4回聞き直してようやくわかった。1968年に「今宵あなたが聞く歌は(Stanotte sentirai una canzone)」を歌った岸洋子だった。岸洋子はすでに1992年に亡くなって、日本ではその名前も知らない若い人が多いのだが、それをイタリアの田舎町で耳にしたのは、ちょっとした感激であった。


▼旧市街の入口あたり。もう、どこもかしこも急坂だらけ。そんな坂道に停まっていたフィアット500(チンクエチェント)。

2004.10

 

旧市街は急坂の連続 悪魔の橋
 

▲町はずれの崖下には、悪魔に魂を売る契約をしてつくったという「悪魔の橋」がある。かつては、これが外部への唯一の道だったそうな。

2004.10



「ところで、いつまでいるんだい?」
「隣のカストロヴィッラリに泊まっていて、明日の午前中に出発するんです」
「えー、そりゃあ残念だなあ。あしたからお祭りなのに」
「ああ、それは残念」
 残念とか言ったものの、それがどれほど残念なのか、身に沁みてわかったのは日本に帰ってきてからだった。年に一度の祭りの日には、周辺の町からアルバニアにルーツを持つ人たちの代表が、民族衣装に身を包んでここに集うという。惜しいチャンスを逃してしまった。 

 ところで、アルバニア人たちにとって伝説的な英雄とされているのが、オスマン帝国に抵抗して戦った領主スカンデルベック(スケンデルベウ/イスケンデルベイ)という15世紀の人物である。このチヴィタにも、トルコ軍と戦うスカンデルベックの壁画があったり、旧市街の通りにその名が使われていたりした。
 来る途中に立ち寄ったフラシネート(Frascineto)では、広場に彼の胸像が立っていた。じつは、ローマ中心部にも立派な銅像がある。そんな銅像をわざわざ建てたのは、歴代のイタリア政府によるアルバニア人懐柔策という話を聞いたことがある。


旧市街から新市街を望む

旧市街の頂上近くから、新市街側を望む。トップの写真を反対から見たところ。トップの写真の道路が中央奥に見える。

2006.9



 このときの旅で印象に残った人物が、バールの気のいい女主人である。40代なかばくらいのふくよかな彼女は、昼ご飯の時間になって親爺連が店から姿を消すと、自分のことを私たちに語りはじめた。
「結婚してドイツに20年以上住んでいたのよ。でも、生まれ故郷のここがいいわね。ドイツにいたらイタリア語をだんだんと忘れていったけど、イタリアにいたら今度はドイツ語を忘れちゃったわ、ハッハッハ」

 
  2年後の2006年9月、今度は妻と義母と妻の友人という女性3人を連れて、チヴィタを再訪する機会を得た。そのときにびっくりしたのは、たった2年でずいぶん観光地化が進んだことである。標識や散歩道が整備され、B&Bもできていた。ドイツ人の団体が観光バスに乗ってやってきたのにも驚かされた。
 アルバニア文化で町おこしといったところか。深い渓谷と背後の山に囲まれて、自然にも恵まれている。気のせいか、2004年には町の人が私たちを見る目が好奇に満ちていたようだったが、2006年にはずいぶん観光客慣れして穏やかに感じられたものだった。

 変わらないのは、ドイツ帰りの元気なバールの女主人だった。私たちのことは覚えていなかったが、2年前に来たことを告げると、大げさに再訪を歓迎してくれた。


●所在地
カラブリア州コセンツァ県
●公共交通での行き方
・カストロヴィッラリのバスターミナルからSAJ社のチヴィタ行きバスで20分。1日5往復。
・カストロヴィッラリへは、ローマ・ティブルテーナ駅前の長距離バスターミナルからSIMET社のバスで8時間。1日2往復
・カストロヴィッラリへは、イタリア鉄道のコセンツァ、スカレーア、トレビサッチェなどから路線バスの便あり(コセンツァ便以外は本数は少ない)。
●見どころ
・山ふところに抱かれた村のパノラマ。
・アルバニア文化の残り香がそこかしこに感じられる様子。手づくり感ただよう「アルバニア文化博物館」はぜひ訪れたい。
・村近くの谷にかかる「悪魔の橋」

●老婆心ながら
チヴィタ中心部を終点とするバスのほか、町の入口の県道上に停まるバス路線(トレビサッチェ~カストロヴィッラリなど)も1日に何便かある。
町外れの断崖上から 町はずれからは、こんなダイナミックなパノラマが。悪魔の橋はこの左下に見える。 2004.10
2015年7月作成

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