不思議な町が多いイタリアの南部でも、マテーラの旧市街「サッシ」ほど変わったところは、ほかにない。石灰岩に掘られた横穴式住居の上に家が建てられ、そのまた上に家が積み重なり、もうどこからどこまでが山でどこまでが家なのかもわからないほど、岩山と家々が渾然一体となっている。
個人的に言えば、同じ南イタリアの世界遺産の町アルベロベッロには1982年に訪れて以来、何度も行っておきながら、マテーラには2002年まで足を踏み入れたことがなかったというのは、我が人生の不覚と言うほかない。
マテーラの歴史については、ガイドブックやネットの解説に書かれているので省略するが、かつて「サッシ」は南イタリアの貧困の象徴とされ、「国の恥」(vergogna nazionale)とまで呼ばれる存在だった。そして、1960年代には1万5000人の全住民に対して、新市街への移住が命じられたというのは有名な話である。
しかし、その後に観光地としての価値が見出されるのだからわからないものだ。1993年の世界遺産指定と前後して一部の家に住民が戻り、いまでは立派なレストランやホテルもある。そして、再現された洞窟住居は、外すことのできない観光ルートの一つになっている。
その「本当の魅力」の1つは、食材のよさである。
「このあたりは小麦がいいからね」と現地の人は言っていた。だから、地元のレストランで出されるパスタは、どれも味がしっかりしている。
パスタだけではない。ハム、チーズ、キノコ、肉、なんでもウマいのだ。ワインも安くて濃くておいしい。食後酒もまたよろしい。
だから、マテーラにやってくると私たちは毎日、新市街の中心にある広場の一角にある食材屋に入り浸ってしまうのだ。
「4年前もここに来たんですよ。日本へのお土産をたんまり買い込んで……」
閉店前の最後の客となった私たちは、品物の精算をしながら、40代と思われる、上品でにこやかな女主人に言う。
「あら、そうなの。ラルドでも召し上がる?」
「喜んで!」
彼女は、安くはないラルド(豚の脂身を熟成させた生ハム……ラードと語源は同じ)を切って、私たちに食べさせてくれた。それはそれは味が濃く、脂身が口のなかでとろけるようだった。
「もう1切れいかが?」
「はい!」
結局、勧められるままに私が3切れ、妻は2切れ食べた。こんなものを毎日食べていたら生活習慣病一直線だなと確信しつつ。
女主人も3切れほど食べていた。
「あれは、自分も食べたかったんだね」と、妻はのちに述懐する。
もう1つのマテーラの「本当の魅力」──それは、この町の人の人情である。
たまたま運がよかっただけかもしれないが、出会った人はみな、本当に親切な人ばかりなのである。いや、単に親切なだけではない。もう一歩進んだ思いやりがあって、平凡な表現だが暖かみがあるのだ。
それでいて、押しつけがましさがない。ラルドをもらったからではないが(いや、もしかするとそうかもしれないが)、実に居心地のいい町であった。
2006年の旅では、妻が新市街の洋服店に置き忘れたクレジットカードを、店のお姉さんがすぐに警察に届けてくれて、ホテルに素早く連絡が来た。しかも、ホテルのおじさんが自家用車で警察まで送り迎えしてくれた。
私がデジカメ用のSDカードリーダーを探していると、「この町には売ってる店はないなあ」と言って、インターネットカフェのお兄さんたちが、手元にあったものを安く譲ってくれた。「もし相性が悪くて使えなかったら、いつでも来てくれ」と言って。
そして、レストランで食事を終え、突然降ってきた雨に途方に暮れていると、従業員が自家用車でホテルまで送ってくれた。
そういえば、イタリアの主要都市を対象にした調査で、「住民が優しい町」の部門でマテーラがトップに選ばれたという結果を見たことがある。
かつて、旧市街「サッシ」の中で、貧しくも助け合って生きてきたという歴史が関係しているのだろうか。