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駄菓子のイタリア無駄話目次
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 安下宿で昼寝をしたあとも、やはり私は散歩に気乗りがしなかった。
「Sさん、例の散歩なんですけど……。本当に行きますか?」
 起きがけのぼんやりした頭でS氏に尋ねた。すでに時間は3時半をまわっていた。
「行きますかって……、約束したんやないか」
「そりゃあそうだけど……。まあ、相手はイタリア人だから、時間どおりに来ることはないでしょう。ゆっくり行きましょう」
 私の必死の説得にS氏も少しは軟化したのか、「それも、そうやな」などと言いながら、のろのろと共同洗面所に顔を洗いにいった。
 私としては本心から約束をすっぽかしたかったのだが、やはりそういうわけにはいかない。重い足を引きずってポンテ・ベッキオに向かうことにした。
 約束の場所に着いたのは、4時を2、3分まわったくらいだったろうか。誰か一人くらいは来ているかなと思い、あたりを見まわした。


アルノ川にかかるポンテ・ヴェッキオにて。この橋を渡れば、ボーボリ庭園はすぐ。

撮影 : 1985/11 Firenze
ポンテ・ヴェッキオ


 予想は大はずれであった。驚いたことに、すでに全員が揃っていたのである。
「こんばんは~」
 ややうろたえた私であるが、それでもけんめいに冷静さを装ってあいさつした。
「おお、なんだ遅いじゃないか」
 なんと、イタリア人に遅刻をたしなめられてしまった。
 なにせ、列車に乗れば20分遅れ、30分遅れは当然。長距離列車となると1時間以上遅れるのが普通とされるお国柄(ちなみに、最近のイタリアの列車の運転時刻は、かなり正確である)。イタリア人が時間にルーズだというのは、ポパイがほうれん草を好きだということくらいに、世界の常識とされていたのである。
----この人たちは本当にイタリア人なんだろうか……。そもそも、この落ち着きはなんなんだ。いくらフィレンツェの人間がおとなしいからといって、やっぱりイタリア人に変わりはないはずだろうに。

 ボーボリ庭園に向かう道々、私は彼らと他愛のない話をしていたのだが、どうもそのことが気にかかってならない。とうとう我慢ができなくなって、グループの中の一人にたずねてみた。
「あのー、みなさんはとっても物静かですよねー。でも、日本じゃ、イタリア人というと、陽気でよくしゃべる人びとだと思われているんだけれど……、そうじゃないんですか?」
 すると彼は笑いながら、しかしあくまでも冷静にこう言った。
「そういう人もいる。そうじゃない人もいる」(クアルクーノ・スィ、クアルクーノ・ノ)
 なるほど、そりゃそうである。当たり前のことだが、こうはっきり言われるとひどく納得してしまった駄菓子青年であった。
 と、同時に思った。
----これは使える!
 これまで、さまざまなイタリア人から、日本と日本人についてあれこれと質問責めにされて困っていたが、このフレーズを使って答えればいいのだと気づいたのである。

 それ以来、これは私の座右の銘となった。
「日本人はみんな勤勉なのか」「日本人は肉をあまり食べないそうだが本当か」「日本人は敬虔な仏教徒なのか」「日本人はみんなおまえみたいに賢くて礼儀正しいのか……」
 どんな質問にも「そういう人もいる。そうでない人もいる」で片づいてしまう。
 こうして、このフレーズは、語学の初級者だった私にとって、「これはイタリア語でなんと言いますか」に次いで便利なことばとなった。

ボーボリ庭園から見る市内 ボーボリ庭園の出口あたりから、市内を望む。

撮影 : 1990/09 Firenze

 とはいえ、よく考えてみると、これは答えるほうにとって便利なことばだが、質問したほうにとっては困った回答である。「そういう人もいる。そうでない人もいる」なんて言われたら、もうそれ以上聞きようがない。ほとんど答えることを拒否しているようなものである。
 もっとも、そんないい加減な回答にもめげずに、「じゃあ、どんなやつがそうで、どんなやつがそうじゃないんだ?」と厳しく追及してきたイタリア人もいたのであった。

 ところで、ボーボリ庭園の散歩であるが、それはそれは淡々としたものだった。やはりこのフィレンツェの人たちは「そうじゃない人たち」の部類である。散歩のあとで、飲み会か食事でもあるのかと思いきや、なんとなく行ってなんとなく解散してしまった。
 結局、このとき散歩したイタリア人たちとはそれっきり会うことがなかった。ヴェルディおじさんを除いては……。

(注)"Qualcuno si', qualcuno no"は、英語で言えば、"Somebody yes, somebody no"という意味で口語的な表現。"Qualcuno si',gli altri no"(クアルクーノ・スィ、リ・アルトリ・ノ)も似たような意味で、英語に直訳すれば、"Somebody yes, the others no"といった感じ。





 


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