日本地図上の位置

◆◆ 著 書 ◆◆
定点写真でめぐる東京と日本の町並み
定点写真でめぐる
東京と日本の町並み

(青春出版社)
1,550円+税
2019年10月発売!


鉄道黄金時代1970'
鉄道黄金時代1970's
(日経BP社)
1,800円+税
2014年12月発売

北陸鉄道 石川線・金名線

白山下駅のモハ3761 ▲終点の白山下で発車を待つモハ37611982/08

---- 金沢と名古屋を結ぶ壮大な構想 -----
 北陸鉄道は、戦時中の1943年(昭和18年)に、石川県下のほとんどの私鉄を統合して設立された鉄道会社であり、その中心的な存在が石川線だ。ここを初めて訪問した1982年には、金沢市内の野町駅と加賀一の宮駅を結んでいた。かつては金名線に加えて能美線とも直通運転を行っており、これらの路線は総称して石川総線とも呼ばれていた。
 金名線(きんめいせん)は、加賀一の宮駅から白山下駅までを結んでいた路線で、その線名は金沢と名古屋を結ぶ壮大な構想に基づいて名付けられた。険しい山脈を越えて、越美南線(現・長良川鉄道)に接続する予定だったのだが、すでに1982年の訪問時には金名線内での運転は朝夕だけになっていた。
訪問:1982年8月


野町駅▲始点の野町駅は、繁華街の香林坊から川を渡ったところにある。国鉄とは西金沢駅で接続している。このころは向こう側の2番線も使われていた。モハ3744(手前)とモハ17241982/08


鶴来駅▲鶴来の車庫に待機中のモハ3762。
1982/08


鶴来駅▲鶴来駅。左のモハ3744も右の側線に停車中のモハ3773も、「準急」「野町」の方向板を掲げている。
1982/08


鶴来駅▲野町に向かう列車の窓から撮影。張り上げ屋根のモハ3731単行で、白山下まで行く列車のようだ。金名線直通を除くと、半数以上の列車は鶴来止まりだった。
1982/08


加賀一の宮駅▲加賀一の宮駅。ここから先、白山下までの金名線は1日に9往復のみとなっており、9時台の次は15時台だった。
1982/08


金名線の車内▲金名線の車内風景。車掌が乗車券を販売している。
1982/08



■トップページ「私鉄ローカル線を訪ねて」表紙■

Copyright © Takashi FUTAMURA