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丹後山田駅で発車を待つ元国鉄のキハ083。 客車を改造したディゼールカーである。 1979.3 |
---- 大江山のふもとに古典車両の宝庫が ---- 「大江山」と聞いて何を連想するだろうか。ある人は鬼の伝説を思い浮かべ、またある人は「大江山いく野の道の遠ければ まだふみもみず天橋立」という百人一首に収められた歌を思い出すだろう。 大江山で産出されたニッケル鉱石を運んでいた加悦(かや)鉄道を連想した人はかなりの変人に違いない。 加悦は、京都府の北部、丹後半島のつけ根あたりに位置する町(現・与謝郡与謝野町)で、その加悦と国鉄宮津線・丹後山田駅間5.7キロを結んでいたのが加悦鉄道だ。 明治時代の古典蒸気機関車や古典客車が保存されていたことでも有名だったが、1985年に廃止された。 その後は、あとを引き継いだカヤ興産によって、旧加悦駅近くにSL広場が設けられ、車両が大切に保存・展示されている。 なお、国鉄宮津線はその後、第三セクターの北近畿タンゴ鉄道宮津線となり、丹後山田駅は野田川駅と名前を変えている。 訪問:1979年3月
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丹後山田駅の国鉄ホームから、加悦鉄道のホームを望む。バックにのどかな風景が広がっている。 この駅員は、たぶん国鉄の人だろう。 1979.3
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加悦駅に到着。駅の構内には、この世のものとは思えないような古典的な客車や機関車が、いつでも動きそうな状態のままで保存されていた。 まるで、数十年前にタイムスリップしたような光景であった。 中央のディーゼル機関車は、森製作所製のDB201。 1979.3
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同じ中小私鉄でも、新しい車両を導入するたびに古い車両を解体していく鉄道もある一方で、加悦鉄道は使えるだけ使って、あとは大切に手元にとっておくというやり方をしていたようだ。 「私鉄紀行 丹波の煙 伊勢の径」(湯口徹著 プレス・アイゼンバーン)によれば、のちに車両博物館をつくることを念頭に置いていたのではないかとのこと。 1979.3
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加悦駅構内にある車庫にて。右側のディーゼル機関車はDD352、左奥のディーゼル機関車はDC351。 1979.3
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駅構内の奥に展示されていた古典蒸気機関車3両。左から、1261、4号機、2号機。 2号機は、1873(明治6)年イギリス・スティーブンスン社製で、日本の鉄道黎明期に輸入。 大阪・神戸間開通とともに働きはじめたというとんでもない貴重品。2005年、国の重要文化財に指定された。 1979.3
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