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加悦駅の古典車両 |
前ページの3台の機関車を、アングルを変えて見たところ。 左の1261号機は、1923年日本車輛製造製。 中央の4号機は、 1922年川崎造船所製。 1979.3
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明治の香りたっぷりの2号機関車のアップ。 官設鉄道の12号機で、のちに鉄道院時代に123号機に改番されたのだそうだ。 1979.3
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これまた明治の香り漂うマッチ箱客車ハ4995。 ハ20の足回りに、倉庫として使われていた車体を載せたものだという。「三等」という表示がまぶしい。 1979.3 |
荷物室と車掌室がついた客車ハブ3。1889年ドイツ製。 1970年の大阪万博で、クラウス17号とともに展示された。 1979.3 |
これまた古典客車のフハ2(旧ハブ2)。1926年名古屋電車製作所製。デッキ上のカーブが優雅だ。 1979.3
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荷物台付きのかわいいディーゼルカー、キハ101。1968年まではガソリンカーだったとのこと。珍しい片ボギー車だが、肝心の台車が、手前のタンクの陰に隠れて見えない……。 見えている(手前)側の台車は2輪(1軸)。ということは、見えていないほうがボギー(4輪)台車ということになる。 1979.3
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これも荷台付きのキハ51。キハ083がやってくるまでは、この車両が加悦鉄道の主力だった。 1979.3
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ローカル色豊かな丹後山田駅。 1979.3
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加悦の先にあった大江山鉱山からのニッケル輸送は終戦とともに終わり、私がここを訪ねた1970年代末には、1両のディーゼルカーが日に数往復。あとは、丹後山田から北へ延びる貨物専用線の収入に頼るだけの地味なローカル私鉄となっていた。 それでも、終点の加悦駅構内に居並ぶ古典蒸気機関車と客車群を見て、失礼ながら「なぜ、こんなところにこんな車両が!」と驚いたものだった。 博物館に保存されている車両とは違い、やはり現役のレールの上に載っているのは、それだけで輝いているような気がしたものだ。 ただの地方私鉄が、そんな道楽のようなことをしているのは不思議に思えたのだが、あとになって、日本冶金工業の子会社であったことを知った。それなら、ちょっとくらいの赤字は問題なかったのかもしれない。 それにしても、この訪問では車内や途中駅の写真を1枚も撮っていない。どうも、夜行列車の連続という貧乏旅行の強行スケジュールがたたって、頭がぼーっとして車内で居眠りをしていたのかもしれない。残念なことである。 冒頭にも記したとおり、現在、加悦鉄道はカヤ興産と名前を変え、旧加悦駅近くのSL広場で車両を保存・展示している。近くを通った際には、ぜひ立ち寄っていただきたい。 -関連サイト- ・「加悦SL広場公式サイト」 ・「特定非営利活動法人 加悦鐵道保存会」 -参考図書- 私鉄紀行『丹波の煙 伊勢の径(下)』(湯口徹著 プレス・アイゼンバーン) 2006年12月作成
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