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井川線のハイライト、関ノ沢橋梁の遠景。我々が乗った朝の下り一番列車が、井川で折り返してきた。 *写真にポインタを合わせると、中央部を拡大します。 1972.10 |
上の写真の列車が、ぐるっと山肌をまわこんでやってきた。 1972.10 |
何もない尾盛で何時間待っただろうか。ようやく、次の上り列車に乗って、奥泉を目指す我々であった。 1972.10 |
奥泉でバスに乗り換えて、寸又峡温泉をぶらぶら散歩。金のない高校生であるから、温泉に泊まるなどということは、はなから考えていなかった。 1972.10 |
朝の千頭駅。大井川本線の電車が発車を待っている。中央の銀色の車体は、北陸鉄道からやってきたばかりのアルミ合金車「しらさぎ」号。 1972.10 |
すでに廃車となった、文化財級の電車モハ301。旧鉄道省(国鉄の前身)の車両である。のちにJR東海名古屋工場で昔の姿に復元され、現在はJR飯田線の伊那松島機関区に保存されている。 1972.10 |
これも、北陸鉄道からやってきたばかりの電車「くたに」号。10数年後に大井川鉄道(本線)を訪ねてみると、「あかいし」と改称されていた。 1972.10 |
大井川本線・家山駅にて(左は旧南海、右は旧西武の車両) 2003.10 |
結局、日本中が大騒ぎになったジャコビニ流星群は、空振りに終わった。空き地に新聞を敷いて、一晩中空を眺めていたが、流れ星は数えるほどしか見えなかったのである。それでも、ヒューという音を立てて空を横切っていった見事な「火球」には感激した。 2005年8月作成 -参考図書- 『鉄道ピクトリアル 1998年4月臨時増刊号 特集:甲信越・東海地方のローカル私鉄』(鉄道図書刊行会) |
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