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蔵出し鉄道写真館
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京浜急行電鉄 (1969年6月~1970年1月)


品川駅の1000形 品川駅の500形
 

1968年3月に京成電鉄の利用者になった直後の6月、まるで待っていてくれたかのように、京浜急行電鉄(京急)との乗り入れがはじまった。
要するに、京成が相互乗り入れをしていた都営地下鉄1号線(現・浅草線)が泉岳寺まで延長になって、京急を含めた3社局の相互乗り入れがはじまったわけだ。
おかげで、ただでさえ放浪癖のある私にとって京浜急行も身近な存在となり、さらに行動範囲を広げていくことになったのである。
1969年6月に撮ったのは品川駅構内だけ。左の写真は当時の主力1000形電車である。都営地下鉄に乗り入れてきたのはこの形式だけだった。当初は、停車するときの台車のきしみの音がすさまじかった記憶がある。
右は500形。かつては特急用の優等電車で2扉セミクロスシートだったが、通勤用の4扉ロングシートに改造されたのちの姿である。


品川駅の400形 品川駅の都営地下鉄5000形
 

現在は、品川駅にも都営地下鉄のほか京成線、北総線、旧・公団線の車両がやってくるが、当時は京急のほかは、都営線の車両が急行川崎行きとして顔を見せるだけだった。
左は古豪の400形。右は都営地下鉄の5000形。
今思えば、架け替え前の八ツ山橋まで足を延ばして、走行写真を撮っておけばよかった。


大師線の230形
 

その後は、快速特急の爆走ぶりに感激して、川崎あたりまでは何度も乗りにいったっけ。京浜急行の本線が高架線になる前のことである。住宅密集地のなかを、家の軒先をかすめるようにして猛スピードで走るのだ。踏切がやたらにあってもおかまいなし。
「もし、ここでトラックが出てきたらどうしよう」と冷や冷やしながら、運転席すぐ後ろの「かぶりつき」の席で前方を凝視していた私であった。
最後の写真は、京浜川崎(現・京急川崎)を起点とする大師線で使用されていた230形。 大きな窓が魅力的な電車である。230形については、その後、廃車直前にわざわざ撮りにいくことになる。




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