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蔵出し鉄道写真館
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国鉄渋谷駅構内脱線事故 (1969年6月)


渋谷駅構内の脱線事故現場 渋谷駅構内の脱線事故現場
 

1969年6月22日のことだった。
(★情報ありがとうございます。正確な日付がわかりました)

渋谷に何をしに行ったのかは覚えていないが、たぶん東急文化会館の上にあった五島プラネタリウムを見に行ったのだろう。鉄道少年でもあり、天文少年でもあった私は、毎月のように通っていたものだった。

その帰りのこと、国鉄渋谷駅から山手線に乗ろうとすると、何だか騒がしい。山手貨物線(いま、埼京線や湘南新宿ラインが走っている線)で、貨物列車の脱線事故があったのだ。上右の写真を見ると、中央に見えるタンク車がやけに低いのがわかる。

それにしても、すごい人の数。当時の国鉄は工事をするときにしても、事故が起きたときにしても、こうした人海戦術が繰り広げられていたものだった。


救援車スエ38 救援車スエ38
 

原因は、当時の流行語にもなった「競合脱線」というやつだったと記憶している。早い話が、さまざまな要素が少しずつ重なって、脱線に至ったというのだ。2軸(4輪)の小型貨車が多く連結されている貨物列車が、カーブを通過するときに発生することが多く、少しずつ車輪が競り上がって脱線するという解説があった。
競合脱線の主要因であるとして、その後、2軸貨車は急速に廃車にされていくことになる。

さて、脱線事故現場も興味深かったが、私が関心を示したのは、横付けされていた救援列車であった。救援車は、新鶴見貨車区(客貨車区?)に配属されているスエ38。こんなときでもないと、なかなか見られない車両である。二重屋根に車体のリベットが古典客車の雰囲気を残している。
そして、写真ではわかりにくいが、台車が3軸ボギーなのだ。つまり、車両の前に3軸(6輪)、後ろ3軸というもので、当時すでに珍しくなっていた。


DE11 2号機
 

機関車は新鶴見機関区配属のDE11の2号機である。
どうせなら、機関車ももっと珍しいものだったらよかったのだが、そんなことも言っていられない。
今なら、こんなところで事故があったら、携帯やデジカメで写真を撮る野次馬がホームにあふれて、あちこちのブログやSNSでいやというほど紹介されていたに違いない。

2010年1月作成



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