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蔵出し鉄道写真館
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小海線 (1970年9月)


大門沢橋梁のC56
 

夏休みの万博から帰ってくると、今度はその万博に同行した友人と二人で、秋に小海線に撮影に行った。八高線に続いて本格的に蒸気機関車を追いはじめた時期である。
とはいっても、まだ中学2年生の身。朝早く東京を出て、日帰りで行って帰ってきた。今でこそ、特急に乗れば小淵沢もそれほど遠く感じられないが、当時はまだまだ中央線にも単線区間が多かった。あちこちで行き違いで待たされて、ずいぶん時間がかかった記憶がある。

それでも、野辺山~清里にかかるあこがれの大門沢橋梁で、八ヶ岳をバックにC56の引く貨物列車を撮影したときは感無量であった。
父親から借りたドイツ製コンタックスII型での撮影である。


野辺山駅に停車中のC56 野辺山~清里の国鉄最高地点
 

律儀にも当時の記録が残っている。新宿6時50分発の1401M急行アルプス1号・こまがね1号、松本・飯田行きに乗り、小淵沢着が9時35分。小淵沢で9時47分発小海線1235D上田行き(!)に乗り換えて、野辺山到着が10時31分だった。
そのときに、野辺山で交換待ちをしていたのが、この左の写真の貨物列車。機関車はC56 149である。高原野菜の積み出しの季節がはじまったころである。

右の写真は、野辺山から清里方面に30分ほど歩いたところにある国鉄最高地点。座っているのは、同行した同級生である。
当時は、国道も舗装されておらず、周囲にはな~んにもなかった。今からは想像もできないのどかな情景である。その後に、新国道ができ、周辺には食べ物屋や土産物屋が続々と建った。


野辺山~清里を走るC56 野辺山~清里を走るC56
 

この2枚の写真は、野辺山駅から最高地点に向かう途中に撮ったのだと思う。
実は、1本の列車である。先頭に左の写真のC56 144がつき、最後尾に右の写真のC56 150が逆向きについていた。
C56 150は補機として働いていたのか、それとも単に引かれていたのかはわからない。
いずれにしても、こうした背中合わせの後部補機の編成は、雑誌でも見たことがある。途中駅に折り返しや機回しの設備がないときに便利なのかもしれない。


大門沢橋梁のディーゼルカー
 

そして、やってきました大門沢橋梁。小海線随一の撮影地だった。場所は、国鉄最高地点からさらに200~300mほど清里寄りである。
当日は連休(9月15日-敬老の日-の月曜日だった)だったので、ほかにも撮影者が何人かいたことを覚えている。

本番のC56(冒頭の写真)がやってくる前に、ディーゼルカーの通過で練習。
左がキハ10系で右がキハ20系(2エンジン車のキハ52だそうだ)。今では、このディーゼルカーだってほとんど残っていない。それにしても、本番の蒸気機関車よりも、練習のはずのディーゼルカーの写真のほうが、よく写っているのは皮肉である。

元祖「お立ち台」ともいえる場所だが、今ではこの場所からは手前に木が生い茂ってしまい、まったく線路が見えなくなってしまっている。
まあ、それ以前に、この鉄橋の奥に国道が建設された時点の写真を見たことがあるが、それはまるで身も蓋もない情景であった。

2011年1月作成



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