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米坂線、米沢機関区 (1972年2月) |
中学の友人たち7、8人と米坂線に9600を写しに行こうと、上野駅から夜行列車に乗って米沢に向かったのは、建国記念の日の前夜であった。車内はスキー客を中心に超満員。しかも、発車間際にトイレに行っていたやつがいたために、 そいつを待つために乗車が遅れて車内の奥まで進めず、ドア近くでぎゅうぎゅう詰めで数時間も過ごすことになった。 |
米坂線に着いたときには、さすがに体力自慢の中学生も疲労困憊。結局、昼すぎでもう帰ってくるというさんざんな撮影旅行となった。 |
そのまま帰るのも惜しいので、米沢機関区で撮影することにした。10人近い中学生が、いきなりドタドタとやってきても、事務所で名前を書きさえすれば撮影が許された時代である。 |
だが、DD14どころか、珍しい車両が目白押しだった。これは、スエ78 11。救援車として、当時はまだ車籍があったようだ。ご覧のように、3軸ボギー台車をはいている。 |
雪国だから、当然ラッセル車も多数配置されていた。左の写真はキ131。右は、キ131とキ235が背中合わせで停車しているところ。 |
ラッセル車は知っていたが、これはそれまで雑誌でも見たことがなかった車両。ジョルダン車キ700形の707である。「広幅雪かき車」とも呼ぶのだそうで、左の写真に見える両翼がバッと開くのだろう。電柱が真ん中に入ってしまったのは残念だが、しかたがない。 |
2012年4月作成 |
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