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蔵出し鉄道写真館
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高森線、唐津線 (1973年7月)

立野駅のC12 高森駅のC12
 

日豊本線夜行ピストン2泊、桜島港待合室で1泊と宿なし状態が続き、さらにこの日も鹿児島本線の上り夜行急行「かいもん3号」で西鹿児島から熊本へ向かった。
現在の九州新幹線なら45分ほどのところを、4時間かけて走っていたのである。

それでも熊本着は未明の3時12分。そこから、5時44分発の豊肥本始発列車の別府行きに乗り換え、眠い目をこすりながらやってきたのが高森線だ。


高森線立野橋梁 高森線立野橋梁
 

まずは、立野駅から歩いて、立野橋梁を上から、そして下から撮影。左の写真のように、C12は下り列車で逆向き運転となっていた。終点の高森駅では転車台がないためである。

立野橋梁は、珍しいトレッスル橋で、いくつかの架台が桁を支える構造になっている。国鉄ではほかに、山陰本線にあった有名な余部橋梁や、青梅線の奥沢橋梁(軍畑橋梁)などの例がある。


高森線阿蘇下田駅付近 高森線阿蘇下田駅付近
 

これは、阿蘇下田に移動してから駅付近で撮影した下り列車。撮影場所を探すまもなく列車がやってきてしまい、このままでは平凡な写真になるかもと思って、無理やり工夫したのが右の写真である。

この日は、阿蘇下田駅から路線バスに乗り、垂玉温泉にある国民宿舎に宿泊。硫黄の香りが強い風呂と、山道をゆくボンネットバスが印象的だった。


高森線第一白川橋梁 高森線立野橋梁
 

翌日の撮影は午前中のみ。左は、白川第一橋梁。橋のそばに近づくことはできなったが、戸下温泉までバスで移動して、国道から遠く望むことができた。撮影地点に近い望遠レンズを持っていなかったので、こんな画面になってしまったが、雰囲気は出ていると思う。桁下62mというのは、高千穂線の高千穂橋梁ができるまでは、国鉄ナンバーワンの高さだった。

右は、最後にもう一度撮影した立野橋梁と、そこを渡る上り列車。外輪山から広い火口原が見わたせる雄大な風景である。

立野スイッチバックを行く豊肥本線 熊本機関区
 

立野駅からは、豊肥本線の雄大なスイッチバックの様子が眺められる。駅で待っていると、ちょうど長大編成の気動車急行を写すことができた。

右の写真は熊本機関区。熊本駅の上りホームに隣接していたので、こんな写真が手軽に撮影できた。機関車はC11で、左が190号機、右が61号機。拡大してみると、どちらも正面のナンバープレートの地が緑色だった。

熊本市内では市電で市内を散歩。夜は門司港に向けて北上し、福間駅まで来たところで、門司港発長崎・佐世保行きの夜行普通列車に乗り換えた。


唐津線多久駅 唐津線多久駅
 

このときの蒸気機関車撮影の最終目的地は唐津線。
もっとも、夜行列車で行くには中途半端な距離。久保田駅で未明に降りて始発列車を待ったのはいいが、待合室で蚊の大軍に襲われて、このときに一緒だった友人数人ともども全身を刺されまくってしまった。

戦意喪失して、結局、多久駅まで行って9600が引く朝の通勤列車を見て満足しておしまい。もっとも、そのおかげで上の2枚のような、雰囲気のある写真を撮ることができた。都会の少年にとって、蒸気機関車の引く客車列車は特別なものという印象だったから、「通勤列車がSL牽引」というのは新鮮なイメージだった。牽引機は69610。

いかにもこの列車に乗ったように見えるが、実はそのままやり過ごし、反対方向のディーゼルカーに乗ったのだった。


唐津線多久駅 唐津線・筑肥線山本駅
 

そして、隣のホームに行くと、まもなく貨物列車が到着して、ディーゼルカーの追い抜きを待つ。こちらを向いた機関士の笑顔がとてもいい。
そして、多久駅をあとにして山本駅で筑肥線に乗り換え。右の写真は山本駅の駅舎からホームを見た様子である。なかなかいい雰囲気。

ここから、筑肥線、松浦線、大村線、長崎本線を経由する急行「平戸」に乗って、長崎に向かった。さすがに体力の限界を迎えており、4時間の所要時間のほとんどを寝ていたように記憶している。

長崎市内を長崎電軌でめぐったあとは、その日のうちに急行「いなさ7号」で博多へ。さらに夜行急行「桜島」に乗車。それでも、まっすぐ東京に帰らずに大阪へ。港町駅から関西本線を使って名古屋を経由し、あとは東海道本線の電車を乗り継いで東京に帰ってきた。高校2年生、4泊13日というハードな九州旅行であった。



2018年11月作成



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