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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 
 

 青山から麻布にかけての一帯は、いまでは気取ったブティックやレストランが建ち並ぶ地域となっているが、1980年代ごろまでは、江戸時代のお屋敷町の名残がそこかしこに感じられたものだった。そして、庭に木々が生い茂る立派なお屋敷も、相続税の支払いが大変だったのだろう、いまではほとんどがマンションに姿を変えてしまったようだ。

 生まれも育ちも下町の私としては、そうした地域を歩くことは少なかったのだが、ここでは1984年8月にぶらぶらと青山学院大学あたりから麻布にかけて散歩をしながら撮った写真を紹介したい。

*写真にマウスポインタを置くと、同じ場所の2007年の写真が見られます。


青山通り

表参道駅から渋谷方向に約300メートル。現在「こどもの城」がある場所は、こんな様子だった。この正面(写真の枠外・左側)に青山学院大学がある。右手の建物の壁には「住宅公社アパート」と記されている。
現在の写真では、中央が「こどもの城」で、右側の大きな建物は国連大学。

1984.8(2007.12)


「こどもの城」のビル部分が建築中であった。当時はまだ、青山通り(国道246号線)上にも、この写真手前にあるような個人商店が数多く残っていたものだった。左は三河屋パン店。右は青山ケンネル。

1984.8(2007.12)

青山通り

青山通り

トップの写真の建物を、ややアップで撮ったもの。 表参道の同潤会アパートは有名だったが、こちらはあまり取り上げられることもなく、いつのまにか取り壊されてしまった。
かつては都電の青山車庫があった場所である。

写真を撮ったのは休日だったためか、交通量も少なく、人通りもあまりない。いまならば、平日・休日を問わず込み合っている場所ではある。

*この2枚の写真には、現在との比較はありません。

1984.8(2007.12)



青山通り

南青山6丁目あたり

上の写真の場所から南東に数分ほど歩いた南青山6丁目あたり。
「この土地家屋は絶対に売りません」との看板を立てた家。「地上げ」が流行語になり、あちこちで土地買収にからむトラブルが発生したものである。

1984.8(2007.12)



上の写真の家は、中央の電柱の左にある。周囲をマンションに囲まれて、かろうじて呼吸をしているように見える。

1984.8(2007.12)

南青山6丁目あたり

 


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