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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 
 

 私が子どものころの秋葉原は、電子部品の町だった。伯父に小遣いをもらって、よくお使いに行ったものだ。伯父は、自分一人で白黒テレビを組み立ててしまう人だった。私は迷路のような通路を通って部品屋に行き、メモを店員に渡して、真空管やらコンデンサーやら抵抗やらを買って帰ったのである。
 はじめて総武線で秋葉原駅に着いたときは、電気街に向かう出口がわからずに、30分以上も構内をぐるぐるまわったっけ。
 当時の秋葉原駅前には神田青果市場があって、山手線・京浜東北線のホームからも、その屋根が見えたものだった。駅西側の市場跡は秋葉原クロスフィールドになり、東側の倉庫街は広場とヨドバシカメラに姿を変えた。

 今回の写真は、そんな秋葉原駅前から万世橋、神田須田町を通って神田駅あたりを撮ったものである。このあたりは、牛込地区と同様に、昔の町名が残っていてうれしい。町の姿はまるで変わってしまっても、町名が残ることで歴史と現在を結ぶよすがになるからだ。
 隣接する神田淡路町~小川町あたりの写真は、こちらをどうぞ。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2011(2013)年の写真が見られます。


秋葉原駅北西側

秋葉原駅1番線(京浜東北線北行)から駅前の北西側を見る。すでに手前の部分は更地となってしまったが、奥には神田市場の建物が残っているのが見える。
確か、駅の東側(現在のヨドバシカメラ側)にも倉庫や市場の建物が所狭しと建っていたはずだが、撮り損なってしまった。

1991.8(2011.10)


秋葉原中央通りの北側、知る人ぞ知る現金問屋「マヤ電機」の看板と幟も懐かしい末広町界隈。右手奥には「カクタ」の看板も見える。

1986.11(2013.2)

末広町あたり

中央通りを走る都電

ここから3枚は、中学時代、都電の写真を撮りに行ったときのもの。周囲の風景が入っているものを選んだ。
この写真は中央通りの北側から秋葉原駅方面を見たもの。中央の橋が総武線の鉄橋。都電は20番の神明町車庫行きである。
* 1970年代の都電スナップ から再掲。

1970.11(2011.10)


これは秋葉原駅の南側。この写真は、帝国書院の社会科教科書(2005年度~)1章の冒頭で、町と社会の変遷を学ぶための素材の一つとして使われた。
* 1970年代の都電スナップ から再掲。

1970.2(2011.10)

秋葉原駅前

万世橋

こちらは、中央通りの南方向、万世橋を見たところ。都電のレールがなくなった以外は、思ったほど変わっていないことに驚く。左に見える「万世」は高いビルに建て替えられているが。
* 1970年代の都電スナップ から再掲。

1970.11(2011.10)


秋葉原駅と神田駅のほぼ中間、山手線・京浜東北線が靖国通りをまたぐガードから、秋葉原方面を見る。正面に見える工事中のコンクリート橋は、東北・上越新幹線の東京駅乗り入れ工事のもの。開通は1991年にずれ込んだ。
このあたりの住所は神田須田町二丁目となる。

1983.10(2011.10)

東北新幹線工事中

秋葉原駅~神田駅高架下

上の写真の反対側、神田駅方面を見たところ。確か、この道路の真上に新幹線の高架橋ができたと記憶している。だから、新しい写真はまったく同じ場所ではないのだが……。
神田須田町二丁目と神田東松下町の境目あたり。左の電柱には、「神田須田町2-4」と記されている。

1983.10(2011.10)


 


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