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私が子どものころの秋葉原は、電子部品の町だった。伯父に小遣いをもらって、よくお使いに行ったものだ。伯父は、自分一人で白黒テレビを組み立ててしまう人だった。私は迷路のような通路を通って部品屋に行き、メモを店員に渡して、真空管やらコンデンサーやら抵抗やらを買って帰ったのである。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2011(2013)年の写真が見られます。 |
秋葉原駅1番線(京浜東北線北行)から駅前の北西側を見る。すでに手前の部分は更地となってしまったが、奥には神田市場の建物が残っているのが見える。 1991.8(2011.10) |
秋葉原中央通りの北側、知る人ぞ知る現金問屋「マヤ電機」の看板と幟も懐かしい末広町界隈。右手奥には「カクタ」の看板も見える。 1986.11(2013.2) |
ここから3枚は、中学時代、都電の写真を撮りに行ったときのもの。周囲の風景が入っているものを選んだ。 1970.11(2011.10) |
これは秋葉原駅の南側。この写真は、帝国書院の社会科教科書(2005年度~)1章の冒頭で、町と社会の変遷を学ぶための素材の一つとして使われた。 1970.2(2011.10) |
こちらは、中央通りの南方向、万世橋を見たところ。都電のレールがなくなった以外は、思ったほど変わっていないことに驚く。左に見える「万世」は高いビルに建て替えられているが。 1970.11(2011.10) |
秋葉原駅と神田駅のほぼ中間、山手線・京浜東北線が靖国通りをまたぐガードから、秋葉原方面を見る。正面に見える工事中のコンクリート橋は、東北・上越新幹線の東京駅乗り入れ工事のもの。開通は1991年にずれ込んだ。 1983.10(2011.10) |
上の写真の反対側、神田駅方面を見たところ。確か、この道路の真上に新幹線の高架橋ができたと記憶している。だから、新しい写真はまったく同じ場所ではないのだが……。 1983.10(2011.10) |
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