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時刻表にない鉄道
タイトル
 京浜工業地帯の中心の一つである川崎市の臨海地区には、おびただしい工場が立ち並んでいる。そして、そこにはこれまた無数の専用線や専用鉄道が走っている。
 もちろん、工場敷地内は部外者立入禁止であるから、そんなものを見ようという酔狂なファンは、何とかして構内立ち入りの権利を手に入れるか、あるいはお目当ての車両が構外に出てくるのをひたすら待つしかない。
 私はそんな物好きではない……? というより、ずぼらな性格なので、たまたま行ったときに目にしたものを写すくらいのことしかしなかった。
 ここにお目にかけるのは、そんないいかげんな気持ちで見てきただけの蒸気機関車の写真である。
浜川崎で偶然見つけた廃車体


 ある日、たまたま(?)浜川崎近くを歩いていたら、塀越しに妙なものが目に入った。
 どう見ても、これは蒸気機関車である。しかも、産業用。興奮しながらも、まず通りの反対側から遠景を写したとは、高校生になったばかりのくせに冷静な私であった。しかも、車が入っているのがニクい 。

1972/04

日本鋼管専用線の所在地 浜川崎の位置

所在地: 神奈川県川崎市川崎区
訪問日: 1971年3月,1972年4月



廃車体  塀のそばには、まさに乗ってくださいとばかりに、交通整理用の鉄パイプ製の台(名前がわからないけれど、上の写真に写っています)があった。これをいい位置に動かして、塀ごしにすばやく写真を撮ったのである。
 手前の後ろ向きの機関車は、20という番号が読める。Bタンク機らしい。
1972/04



 さらに、その台をずるずると動かして、3両の機関車を一通り撮った。
 これは、121とナンバープレートにある。どうやらCタンク機らしい。桁数によって、動軸の数を区別したのだろうか。奥の機関車も、これと同じタイプのようである。
1972/04
廃車体



現役時代の姿  と、ここまでは単なる廃車体めぐりの紀行文になってしまうのだが、実はこの機関車の現役時代の写真を私は撮っていたのである。
 それは、この前年のこと。たまたま鶴見線に乗っていたら、工場の塀越しに蒸気機関車の姿が見えた。確か、武蔵白石~浜川崎間だったのではないかと記憶している。そこで、もう一度、反対側の電車に乗り、窓からカメラを突き出して撮ったのがこの写真である。
1971/03



 浜川崎で降りて耳を澄ましていると、産業用蒸気機関車特有の軽い汽笛が何やら寂しげに聞こえてきた。
 専用線の跨線橋には、確かに蒸気機関車が行き来していることを示すように、煤がこびりついていたのであった。
1971/03
浜川崎界隈


 都内に住む中学・高校生であった私が、たまたま京浜工場地帯を歩いているわけもなく、本当の目的は旧型国電が走っていた鶴見線なのであった。
 当時は、専用線の蒸気機関車に関する情報は少なく、まさかそのときまで現役で走っているとは思わなかったのである。鶴見線の車内から写真を撮ったあとで、もしやあの機関車が構外に出てくるのではないかと、ちょっぴり期待をして待っていたが、それはかなわなかった。
 もっとも、本気で写そうと思っている人ならば2時間も3時間も粘るのだろうが、我慢のきかない私は10分か15分ほど待っただけで飽きてしまい、「まま、いいか」とその場を去ってしまったのである。
 それにしても、その機関車に1年後に廃車体で再会するとは思いもよらなかった……と書きたいのだが、この文章をまとめているうちに別の感想が沸いてきた----ほかにもさんざん写すものがあったし、たまには勉強もしなければいけなかっただろうに、そんなにしょっちゅう鶴見線に通っていたなんて、当時の私は何をやっていたのだろうか。


 



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