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駄菓子のイタリア無駄話目次
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 国鉄職員食堂(メンサ)とはいえど、しっかりメインの肉をとると、値段は高くなる。
 そこで、それほど空腹でないときは、肉をとらないことにしていた。
 だが、イタリア人はというと、これがまたどんな年取った人でも、メインをとらない人はほとんどいないのである。
 日本人としては人一倍大食らいで、のちに盛岡に行ってわんこそばを135杯食べることになる私であったが、イタリアではごく普通の食欲の持ち主に分類されるようであった。
 メインをとらずに会計まで行くと、「セコンド(2皿目の料理=メイン)は取らなくていいのか」とよく心配顔で聞かれたものである。そんなときは、「金がもったいないから」と言うわけにもいかず、にっこりと「ウン、ウン、これでいいのだ」と答える貧乏学生の私であった。

フィレンツェの秋 秋が深まると、観光客の姿も少なくなり、フィレンツェにもやや静けさがもどってくる。
撮影 : 1985/10 Firenze

 そんなある日、いつものように国鉄メンサに夕食をとりに行ったときのことである。
 その日は気分が大きかったので、どれどれ前菜は何かなと見ると、珍しく海の幸のサラダがあるではないか。「フルッタ・ディ・マーレ(Frutta di mare)」というやつである。海のフルーツとはよく言ったものである。
 まあ、フルーツといっても日本語でいう「果物」とは語感がちがい、文字通り「幸」という感じなのだろう。
 久しぶりの海産物を見てうれしくなってのぞきこむと、なかに小さなタコがいた。
----ほほーっ、これは日本でいうイイダコというやつだな。……そうだ、これをイタリア語でなんというか聞いてみよう。
 食欲をさしおいて、突如として学習意欲がわいてきた私は、目の前にいる配膳係の太ったおばさんを見つめた。そして、そのかわいいタコを指さしながら、語学学習者の必須語句を口にしたのである。
「これは、イタリア語でなんと言うのですか?」
 間髪を入れず、おばさんは答えてくれた。
「フルッタ・ディ・マーレ」
「へ……? いや、これですよ、これ」
 私は、イイダコに指先が触れんばかりに、指し示した。
「フルッ・タ・ディ・マ~~レ」
 おばさんは、さきほどよりもはっきりと発音してくれた。
----いやいや、おばさん、料理の名前じゃなくて、このイイダコの呼び名を知りたいんですよ……と言いかけたところで、「いや、まてよ」と思った。


ヴェネツィア沖の夕景。海の幸をとる漁師の小舟。
撮影 : 1990/08 Venezia


ヴェネツィアの魚取り

----もしかすると、この人にとっては、このタコもイカも貝も小魚もフルッタ・ディ・マーレなのかもしれないぞ。
 そこで思い出したのは、日本人ほど海産物の名前にくわしい民族は少ないという話である。
 漁師でもないかぎり、イタリア人には、アジもサバもハマチもカンパチも区別がつかないだろう。ましてや、同じ魚にハマチだのワラサだのブリだのという名前をつけることなど想像できないにちがいない。
 しかも、ここは内陸フィレンツェである。牛肉の部分や料理法には詳しくても、魚に詳しいはずがない。
 当時は頭の回転が速かった駄菓子青年は、一瞬のうちに以上のことを考えついたうえで、おばさんの目を見て大きくうなずいたのであった。
 おばさんもにっこりほほえんで、皿に「フルッタ・ディ・マーレ」をたっぷりとよそってくれた。
 あなどりがたし、国鉄メンサ。
 ただ名前を聞くだけのつもりが、またしても日本とイタリアとの文化のちがいを味わわせてくれたのである。
 肝心の「フルッタ・ディ・マーレ」の味については記憶がないが、久しぶりの海産物がうれしくて、あっというまに食べてしまったことだけは覚えている。




 


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