これは1990年、3度めのイタリア行きでの話。メンサの友人ニコラと、フィレンツェの横断歩道上で劇的な再会をする2週間ほど前のことである。 なぜか、そのときも私はフィレンツェにいた。そして、旧市街の中心部、共和国広場(Piazza Repubblica--ピアッツァ・レプッブリカ)に面したカフェテラスでコーヒーを飲んでいた。 私のとなりでは、なぜか日本人の女性がコーヒーを飲んでいたのであるが、彼女がいかなる人物であるかは、この話の本筋とは関係ないので割愛することにしよう……。 まあとにかく、私たちが昼下がりのカフェテラスでぼんやりしていたと思っていただきたい。 私は例によって、「おお、十数年前を思い出すなあ。あのころは貧乏で、こんないいところに座ってコーヒーを飲むなんて、2週間に1回ぐらいだったっけ」などと、昔をなつかしんでいた。 そして、なつかしみついでに、イタリア初心者でありながらイタリア語のガイドブックを読みふけっているその女性をカフェテラスに残し、目の前にあるスーパーUPIM(ウーピム)にパジャマを買いに出かけたのであった。 | |
ぶ~んという音がしたので空を見上げると、飛行船が飛んでいた。その後、日本でも飛行船を宣伝に使うようになったが、当時はまだ珍しかった。 撮影 : 1981/10 Firenze |
話の本筋とは関係ないが、このUPIMについて詳しく説明すると、これは日本のイトーヨーカ堂やダイエーのような有名なスーパーなのである。 どれほど有名かというと、イタリアの人気歌手クラウディオ・バリョーニの「ポスター」という、さだまさし風の歌の中に、センチメンタルな気分の主人公が地下鉄のホームでぼんやりしていると、大きなポスターの前で、「いっぱいになったウーピムの袋を持ったおばさんが二人おしゃべりをしている」という一節が出てくるほどであった。 ちなみに、彼がスーパースターになったのは、スーパーの歌を歌ったからかどうかというのは、未確認である。 その後、フィレンツェのUPIMの土地はリナシェンテという有名なデパートに売られたらしいが、どうなったんだろうか。いずれにしても、このときはまだ共和国広場の向かいに、安っぽい3階建てのビルがそびえていたのである。 さて、安物のパジャマをかかえてカフェテラスにもどってくると、くだんの女性が上品なイタリア人夫婦となにやら会話をかわしているではないか。 どうやら、イタリア語のガイドブックを見ていたので話しかけられたらしい。 相手の夫婦は60代前半というあたりか。男性のほうは、「パードレ・パドローネ」や「サン・ロレンツォの夜」に主演したイタリアの映画俳優にそっくりだった。いま思うと、本当にその人だったかもしれない。 で、そのおじさんはなかなかのインテリらしく、話題は豊富であった。イタリアの政治を嘆くかと思えば、日本の文化について質問をしたりと、話はなかなか終わらなかった。私はといえば、かなりさびついたイタリア語で、ときにはおろおろと、またときにはのろのろと応対したのである。 話が一段落したところで、彼はだしぬけにこんなことを聞いてきた。 「ところで、いまの駐日イタリア大使は誰なんだ?」 そこまでは何とか話題についていったが、いくらなんでもそんなことは知るわけない……と思ったのだが、不思議なことに、私の口が勝手に動いた。 「サルヴァトーレ・アットーリコ」 これには自分でも驚いた。 |
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イタリアの男は、若いやつよりも、おじさんのほうが百倍くらいカッコいい。 撮影 : 1990/09 Napoli |
駐日大使の名前を覚えていたのはわけがある。
それは日本を出る少し前のこと。東京の日伊協会から「新任イタリア大使との夕べ」 なるハガキがきたのである。 ----なになに、ご本人はご出席か欠席かと……ふむふむ、で、令夫人は出席か欠席かだと……。なんだ、やけに堅っ苦しそうな集まりじゃあねえか。 いい年をして、令夫人も愚妻もいないことに対するコンプレックスなのか、一人で勝手に腹を立てていた駄菓子青年であった。 ----いったい、その大使ってやつの名前は何ていうんだ。 そこで、改めてハガキを見たときに、そこに書いてあった名前が、さきほどのS.A氏だったというわけである。その名前が頭の隅に残っていたとは、げに恐ろしきコンプレックスの力である。 おじさんは、「そうかそうか、アットーリコか……」などと、知り合いのような口ぶりで、ひとり納得していた。 もしかすると、この人はものすごくえらい人なのかもしれないと思った。だが、単にいいかげんなオヤジだということもありうる。 はて、そのどちらだろうかと考えたが、彼の押しつけがましいまでの存在感の強さに加えて、隣に座っている夫人の上品で美しい姿を見ていると、どうやら前者のようだと思えてきたのであった。 それにしても、そのおじさんは、私が大使の名前を覚えていた理由なぞは知るわけがない。さぞかしこいつはイタリアにくわしいやつだと思ったにちがいない。 ----ふ、ふ、ふ。だいぶ点をかせいだな……。 ちょっぴり得意になった私であった。 と、ここで終わると、単なる自慢話になってしまうのだが、そうならないのが世の中の常なのである。 (つづく) |
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