こうして、積もる話をしながら、30代なかばのむさくるしい男がふたり、ジェラートをなめなめフィレンツェの繁華街を並んで歩いていったのである。 ニコラは、弁護士をしていると言った。思いどおりの職業についたのだろう。石を投げれば弁護士に当たりそうな国ではあるが、確かによく見るときっちりとスーツを着こなして、アタッシェケースを持つ格好は、なかなかのインテリぶりである。 彼は、何年か前に引っ越しをしたとのこと。つい最近、久しぶりにもとの住まいを訪ねてみると、かなり以前に私が送ったクリスマスカードがとってあったと言っていた。 「いやあ、そのカードを手にとって、すぐにおまえに会うなんて、偶然だなあ……。ところで、今晩、仕事が終わったらオレの家に来ないか。中心からはちょっとはずれているけれど」 「うーっ、それは残念だ。きょうは友人と夕食の約束をしているんだ」 これは前にも書いたとおりである。ホテルの朝食で会った日本人と、夕食をとる約束をしてしまっていた。 |
「そうか、じゃあ、あしたは?」 「う、う、うーっ、あさっての早朝にローマの空港から日本に帰るから、あしたはローマに行かなくちゃならないんだ」 すると、彼はいかにも残念だという顔をしてこう言った。 「Che peccato! (ケ・ペッカート) 」 私も残念だったが、どうしようもない。 と同時に、このことばを聞き、心のなかでこんなことを考えていた。 |
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ヴェッキオ宮殿から見たフィレンツェの旧市街。この右手にウッフィツィ美術館がある。 撮影 : 1996/06 Firenze
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----ほほう、「ケ・ペッカート」というのは、こういうタイミングで使うんだな……これまでは、「残念だ」というときはいつも「ミ・ディスピアーチェ」ばっかり使っていたからなあ……。ふむふむ、これはいいことを覚えたぞ。 私はいかにも残念だという顔をしつつ、心のなかでにんまりとしていたのである。まさか、私が友情をそっちのけにしてイタリア語学習をしているとはつゆ知らず、ニコラは話を続けた。 「ところで、きょうはどんなレストランに行くのか……手軽でうまいトラットリーアか、そうか、そうか。それならば、Lがいいぞ」 これを聞いて、「うん、うん」とあいづちを打ちながらも、さてどうしたものかと迷った。私は、何度か行ったことのあるB・Lというトラットリーアに行こうと思っていたからである。 その場で、愛用のガイドブックを開いてみると、確かにLというトラットリーアは載っていた。しかも、近い。 ----ここにしてみようか……。 そうも思ったが、ちょっぴり不安を感じた。 私の脳裏を、あのマズいメンサ(学生食堂)の食事を、にこやかに食べていたニコラの顔がよぎったからである。 はたしてニコラの舌を信用してよいものか、私は悩んだ。 ----当時は貧乏学生だったから味なんかどうでもよかったのだろう……弁護士となった現在のニコラは、もっと舌が肥えているにちがいない。 考えてみれば自分も同じようなものだったのだが、そんなことをたなにあげて、ニコラの舌を疑っていたのである。 |
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ウッフィツィ美術館の廊下から、ミケランジェロ広場の方角を眺めた。 撮影 : 1996/06 Firenze |
すると、驚いたことに、私の心を読んでいたのかのように、ニコラは言った。 「いやあ、それにしても、あのメンサの食事はカッティーヴォだった(ヒドかった)なあ……ハッハッハ」 このひと言を聞いて、私の長年の疑問が氷解した。 ----そうか、ニコラもやっぱりあのメンサの食事はマズいと思っていたんだ……。 何かほっとしたような気分になり、ニコラとの友情が一段と深まったような気がした駄菓子青年であった。 それから三十分ほど話しただろうか、「じゃ、またイタリアか日本で会おう」と言いながら握手をして別れた。 結局、その晩はB・Lに行った。 翌年はじめ、かなり遅くなったクリスマスカードをニコラの新しい住所に送った。すぐに、返事がきた。ちょっとばかり堅苦しい文面だった。 それから、さらに何年もたったが、筆不精の私は、まだその次のカードを出せずにいるのである。 |
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