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駄菓子のイタリア無駄話目次
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 毎日が驚きと興奮の連続だったイタリア滞在も、2か月もたつと、だんだんと落ち着いてきた。よくも悪くも、彼の地の生活にもなじんできたというわけである。
 少しゆとりができて、我が身を振り返ってみると、あまりに文化とは縁遠い生活を続けていることに気がついた。
----美術館や博物館には行くけれど、たまには音楽でも聴いてみたいなあ。少なくとも日本よりは安くて手軽に聴けるというし……。
 そんなことを思いながら冬のフィレンツェの町を歩いていると、コンサートの貼り紙が目に入った。
----ふむう、曲目は……Primavera……春? ストラビンスキー……? そうかそうか「春の祭典」じゃないか。なになに……おう、きょうの夕方じゃないか。
 どこのオーケストラだったかも忘れてしまったが、1曲目は確かバッハの協奏曲で、2曲目がストラビンスキーの「春の祭典」組曲というプログラムだった。どちらも私の好きなものなので、さっそく行くことに決めたのである。
 当日券は、値段も数百円くらいだったと記憶している。
 コンサート会場は、町の中心からアルノ川沿いに西のほうにかなり歩いたところにあった。もともとのんきな私であるから、開演の三十分前までに着けばいいかと思い、昼寝から目が覚めると、のんびりと出かけたのである。
 ところが、建物の前まで来て驚いた。
----なんだ、この人だかりは!
 一瞬、何か事件でも起きたのかと思ったほどである。それは、十数年後にインドはマドラス(現・チェンナイ)の映画館の窓口で出会うことになる大混乱には及ぶべくもなかったが、切符売り場めがけて何十人もの人が押し合いへしあいしている光景は十分に驚きに値するものであった。
 いちおう、形だけはロープが張ってあって行列らしきものができているのだが、1つしかない窓口の前ではつねに数人の人間がもみあって、我先に金を出そうとしているのである。
 ひとりずつ順番に並んだほうが早く進みそうだけど……と思うのは、日本人とイギリス人とドイツ人とロシア人(注:ソ連時代に限る)くらいだろうか。
 とりあえず、私は列の後ろについて、順番を待つことにした。
 そして、待つこと十数分、自分の番が近づくや、窓口前の人だかりに飛び込んだ。そして、押しくらまんじゅうをすること数分、とうとうリラの札を窓口に差し出すことに成功した。
----ウーノ!(1枚)
 ややあって、窓口の向こうから切符が出てきた。と、そのときである。


冬近いフィレンツェの中心部。ドゥオーモ前で信号を待つ人。

撮影 : 1985/11 Firenze
冬のフィレンツェの中心部


「これで終わり!」
 横にいた男性が声を上げたかと思うと、ばたんと窓口が閉じてしまったのだ。
 かなりの人がまだ待っていたのだが、みんなあきらめきれないらしく、なにやらブーブー声をあげている。私はといえば、切符が手に入ればもうこの場に用はないと、すたすたと建物の中に入っていったのだった。

 さて、私の席はコンサートホールの一番後ろの列の左端。さすがに、最後の1枚の切符である。
----まあ、フルオーケストラだから、後ろの席でもいいか。それに、ここにいると観客のようすが見えておもしろいし……。
 ひとりで負け惜しみをいいながら、さっそく周囲を見まわした。
 開演前のざわざわした雰囲気はいいもんだ。せわしない気分のなかに、演奏への期待が盛り上がっていく。
 と、すぐに目に入ったのが、右前方数メートルの席に座っているおばさん三人であった。年は60を少し過ぎたくらいか。楽しそうに歓談している。
----昔からの友だちなのかな……。いいもんだなあ。おばさんどうしが誘い合って、安い席で気楽にクラシック音楽のコンサートを聴くなんて、さすが文化の香り高い町フィレンツェだ。
 まだまだクラシックというと敷居が高く感じられたころである。駄菓子青年は、イタリア文化の奥深さにいたく感動したのであった。
----うむ、待てよ。そもそも、クラシック音楽っていうのは、西洋の古典音楽のことだよなあ。ということは、あのおばさんたちは、自分たちの古典芸能を見にきたわけだ。ということは、日本でいえば、連れ立って歌舞伎を見にいくようなものかもしれないな……。とはいっても、仲良しおばさん3人組と現代音楽の古典といわれる「春の祭典」っていうのは、不思議な取り合わせではあるなあ。
 などと、いつものようにイタリアと日本をくらべて理屈をこねているうちに、いつしか席は埋まり、場内は薄暗くなった。

市内を流れるアルノ川 初冬のアルノ川沿いの道。

撮影 : 1985/11 Firenze

 1曲目のバッハは、聴きなれた曲であった。
 そして、お待ちかねの「春の祭典」である。
 ピーヒャラリララーと、フルートの音で始まる。
----そういえば、日本の「春祭り」の笛もこんなもんだなあ。
 などと、つまらないことを考えたのも、この曲をナマで初めて聴く興奮からかもしれない。
 曲は進み、ズッズッズッズ、ドッドッドッド……と重低音が鳴り響き、パラリラリラリラリラーと金管楽器がけたたましく鳴る。
----おお、さすがにうちの安ステレオで聴くのとは違うぞ。
 私は、ぎりぎりで切符を買えた幸運に感謝するとともに、全身が震えるような感動を覚えたのであった。

 と、そんな気持ちのなかで、ふと思い出した。
----そうだ、あのおばさんたちは、どんな顔をしてこの曲を聴いているんだろうか。予想外の現代的な曲なので、驚いているかもね……。
 私は、ちょっといじわるな想像をしながら、さきほどのおばさんたちのほうに目を向けた。
 すでに場内の暗さに目が慣れていたので、おばさんたちはすぐに見つかった。
 だが、その姿を見て私はびっくりした。なんと、ひとり残らず寝ていたのである。とくに手前のおばさんは、大きな口を開けて背もたれに体をあずけて寝ているではないか。
 私は茫然として、しばしその安らかな寝顔を見つめるしかなかった。
----おお、この緊張感あふれる「春の祭典」を子守歌にして寝るとは……恐るべしフィレンツェのおばさん。
 こうして、私はまたひとつイタリア文化の奥の深さに触れたような気がしたのだった。と同時に、あまりの意外な展開に、もう音楽に集中できなくなってしまった。

 コンサートが終わって外に出ると、もうあたりは真っ暗だった。
 出口のあたりで、顔見知りの靴屋のベルディおじさんに出くわした。彼もひとりで聴きに来たきたらしい。2、3日前に会ったばかりなのだが、おおげさに握手なんぞをしたあとで、初冬のアルノ川沿いの道を二人で歩いて帰ったのであった。





 


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