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駄菓子のイタリア無駄話目次
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 イタリアに限らず、市内のバスを乗りこなすというのは難しいものだ。
 フィレンツェで観光客がよく使うバスは13番。フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅(中央駅)からドゥオーモを経由して、ミケランジェロ広場に行くバスである。広場を過ぎると、市の南部を通って再び駅にもどってくるという環状の路線だ。
 その反対まわりのコースは13番の赤だった。これは、バスの方向幕の「13」という数字が赤で書かれた系統である。赤系統というのは、ほかの路線にもいくつかあって、なかには黒字に赤い斜線が引かれていたものもあった。
 しかし、1996年にフィレンツェを訪れたときには、赤系統というものはなくなっていた。13の黒はそのまま13系統となり、13の赤は14系統となっていた。


これは市内バスではなく、中距離バスの車内。ラツィオ州とウンブリア州の境の山中を行くバーニョレージョ発オルヴィエート行き。

撮影 : 1996/07 tra Bagnoregio e Orvieto
中距離バスの車内


 ある秋の昼さがり、フィレンツェ郊外にあるフィエゾレに行こうと思い立った。フィエゾレはフィレンツェの北側の丘にある町で、7番のバスに乗って終点まで行けばよい。
----フィエゾレには妖精が住んでいたなんて話があったっけ。さぞかし、のんびりしているに違いない。
 狭苦しい安下宿に寝起きしている私にとっては、気分転換のつもりであった。
 ところが、バスはなぜか超満員。おまけに途中から山道に入って、右に左にカーブするものだから車酔いをしてしまった。そして、いいかげんに吐き気をもよおしたところで、ようやくフィエゾレに着いた。

 期待が大きすぎたためか、それとも車酔いのせいか、いまひとつフィエゾレは魅力的なところには見えなかった。丘の上でのんびりしようと思っていたのだが、バスを降りると、そこには大きなホテルが立ち並んでいるばかり。カフェテラスにはいかにも金持ち観光客でございますといった西洋人がわんさかいたのである。ひそやかでさわやかな町を期待した私は、ちょっぴりがっかりしてしまった。
 それでも、フィレンツェの市街を見下ろす眺めは格別のものがあった。そのあとはどこをどう見たのかも覚えていないが、小さな町を一回りし、コーヒーを飲んで帰ることにしたのである。

 バス停に戻ると、そこには1番のバスが発車を待っていた。だが、その「1」が赤い字なのである。
----あれ、1番といえば、いつも学校に行くときに乗るバスじゃないか。なんか方向が違うけど、ままいいか。赤系統だから、別ルートを通っているのかもしれないし……。学校のそばを通って都心にもどるのかも。
 あとになって思えば、ガラすきの車内に不審を抱くべきであったが、すでにものごとを深く考えない癖が染みついていた。
 私が乗るのを待っていたかのようにバスは発車し、フィレンツェの市街に背を向けて丘を下っていった。
----ふむふむ、丘の反対側をぐるっとまわって行くのかな。これはもうけたぞ。
 どんな町並みを目にすることができるのだろうと、うきうきしていた私であった。

 ところがである。
 5分たっても、10分たっても、バスはひたすら北に向かって走りつづけているのである。
----おかしいなあ、どこかで曲がるはずだけど……。このままじゃかなり大まわりになってしまうぞ。また、バスが道をまちがえたんじゃないか……。
 それでも、バスは一本道をひたすら北に向かう。家並みはとぎれ、車窓には畑が広がりはじめた。空が広くなり、畑の向こうにはなだらかな丘が見えてきた。
 ここに来て、さすがに楽天家な駄菓子青年も、やや不安になってきた。

----もしかすると、これはフィレンツェに戻るバスじゃないかもしれないぞ。
 すぐに降りようかとも思ったが、ちょっと待てよという声が聞こえた。
 ここで降りても、こんないなかじゃ反対側のバスがいつ来るかも知れないし……。だいたい、反対側のバスがこの道を通るという保証もない……。まあ、いいや、行くところまで行ってやろう。どうせヒマだし。

フィエゾレから見たフィレンツェ市内 フィエゾレの丘からは、夕もやに煙るフィレンツェの町が一望できた。
中央に、ドゥオーモの丸屋根とジョットの鐘楼が見える。

撮影 : 1981/10 Fiesole

 なんとかなると自分に言い聞かせたものの、それでもバスはかなりのスピードでひたすら北に向かう。地図を持ってこなかったのは失敗であった。
 日も傾き、あたりは薄暗くなってきた。乗客も1人降り、2人降りして、残るのは私だけ。
 トロッコに乗って見知らぬ場所に行ってしまった幼年時代の芥川龍之介もかくやと思われる心細さで、いまにもおしっこがもれそうになったころ、バスのエンジン音が止まった。
 運転手が降りていったので、私もバスを降りて運転手に近づいていった。
「ここが終点なの?」
「そうだ」
 なんということのない場所であった。ふと、近くにある時刻表らしきものを見ると、1日に10便ほどしか数字が書き込まれていないではないか。これに乗り過ごしたら、とんでもないことになりそうなので、ずっとバスのそばについていた。
 運転手によると、すぐに折り返すというので、付近を歩きまわることもなく、バスに乗りこむしかなかった。
 それにしても、バスの切符が時間制なのでよかった。75分以内ならば、また同じ切符で帰れるというわけだ。

 赤の1番のバスは、来た道をそのままたどって、フィエゾレの丘に向かっていった。
 あとで人に聞いた話によると、この赤の1番のバスは、フィレンツェの市内バスではなくて、フィエゾレのパスだったのではないかとのこと。それなら、ふだん通学に使っていた1番のバスとは行先がちがうのも道理である。
 フィエゾレまでもどったわたしは、そこで黒の7番のバスに乗り換えた。そのバスでフィレンツェの市街に戻ったときは、もうあたりはとっぷりと日が暮れていたのであった。



 


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