日暮里、大森の特急 (1975年1月~3月)
一眼レフを使っておきながら、高価だった交換レンズをまだ持っていなかった。そんなとき、同じミノルタのカメラを使っている友人から、135mmの望遠レンズを借りたので、走行写真でも撮ってみようと思い立ったのが、1975年の正月のことである。
まずは、勝手知ったる日暮里駅付近を徘徊。主に跨線橋の上から撮影した。東北・上越新幹線の開業前で、在来線の特急が頻繁に行き来していた時代である。
左(小画面では上)は、山形行きのキハ181系特急「つばさ」。右は、客車列車を牽引しているEF58を流し取りしてみた写真である。
これは、上野から新潟に向かう181系特急「とき」。左が、上野方面からやってきたところを撮ったもの。右は、日暮里駅を通過しているところを後追いで撮ったものだ。
日暮里駅の使用されていない旧ホーム(中距離列車用)がまだ残されているのがわかる。2本あった旧ホームは、新幹線の建設に伴って取り壊された。そのときのトロッコを使った工事の様子は、ここに記録してある。
日暮里駅には、さまざまな列車が出入りしていたのが楽しかった。左は、EF80が牽引する常磐線の普通客車列車。平(現・いわき)方面からはるはるやってきたものだ。右にちらりと見えるのが京成の赤電だ。片開きドアなので、3000形か3100形だろう。
右は、仙台に向かう485系の特急「ひばり」。カメラを構える間もなくやってきたので、こんな構図になってしまった。
そして、同じ181系電車を使った長野行きの特急「あさま」。まだ、碓氷峠を在来線で越えていた時代である。この翌年には、EF63との協調運転か可能な189系化された。
右の写真は、上野駅に停車中の181系特急「とき」。
蒸気機関車が消滅寸前となると、鉄道雑誌はブルートレインの特集をするようになった。それにあおられるのもしゃくだったが、まあ一度は撮っておこうと思って向かったのが、線路に沿って公道が走る大森付近である。
やってきたのは、EF65 539が牽引する西鹿児島行き寝台特急「はやぶさ」。そして、20系客車のしんがりはナハネフ22だ。やはり、ブルートレインといえばこの形式! 曲面2枚窓が優美である。
「はやぶさ」を撮っただけで満足していたところにやってきたのが熊本行きの「みずほ」。あわてて撮ったので、電柱が真ん中に入ってしまった。そういえば、このころは夕方4時を過ぎると、東京駅を続々と寝台特急が発車していくのであった。なくなった今から思うと、かなり見事な光景だったのだが、当時は日常の風景に過ぎなかった。
最後の写真は、夕刻の品川に到着する急行「桜島・高千穂」。旧型客車を連ねて、西鹿児島(現・鹿児島中央)から、はるばるやってきた。牽引機はEF58 157。この1年半前には、下りの急行「桜島・高千穂」に乗って、九州を目指したのが懐かしい。
2020年11月公開
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