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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 

■発掘写真1(1950~60年代の浅草松屋の屋上から)
父が撮った写真です。1950年代末から60年代初めの撮影と思われます。
*現在との対比はありません。
浅草松屋屋上

浅草松屋の屋上。当時は数々の遊具があった。隅田川に架かる橋は、手前が東武鉄道の橋、奥が言問橋。
もとはカラーフィルムだが、ほとんど退色してしまったので、モノクロ変換をした。

浅草松屋の屋上から北側を望む。遠くに、煙を吐いている千住のお化け煙突が見える。
観音様の本堂が再建されていることから、1958年以降の撮影であることがわかる。

浅草松屋屋上からの眺め
浅草松屋屋上

この写真も浅草松屋の屋上。色が残っていることから、上の写真よりもあとに撮影されたものと思われる。左にちらりと見えるのが私のようなので、1960~62年ではないか。
右手奥に見える煙突と看板は、隅田川対岸にあったアサヒビールの工場。


■発掘写真2(戦時中の花やしきの写真)1943/04
母方の伯父が撮った写真です。戦時中の1943年4月撮影と記されています。
*現在との対比はありません。
戦時中の浅草楽天地

日の丸と同盟国ドイツのハーケンクロイツ旗を掲げた浅草楽天地(現・花やしき)の汽車。先頭に立っているのが末っ子の叔父。ナンバープレートからも、機関車はC50を模したものとわかる。

ネットの資料によると、この前年の1947(昭和17)年に浅草楽天地が取り壊されたように書かれているが、几帳面な伯父が写真の余白に残したメモには、昭和18年4月と書かれている。


この2年後に、下町のほとんどを焼き尽くした東京大空襲があったが、墨田区にあった母の実家の周囲は、奇跡的に焼失を免れた。
そのおかげで、昔からの写真が収められたアルバムが残った。

戦時中の浅草楽天地
戦時中の浅草楽天地

上の写真の一部を拡大。
日本一小サイ汽車
国鉄C50型
東京 ベルリン
1名 10銭 (?)

と読める。

2008年1月 作成
2017年10月 3ページ目追加

 

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