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東京 -昭和の記憶-
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タイトル 
 

 隅田川の墨田区(旧・向島区)側、墨堤から向島、小梅あたりは、江戸時代から文人墨客に好まれた地域である。今でも隅田川の両岸は桜の名所として有名であり、向島では粋な料亭をあちこちに見ることができる。
  とはいえ、私が浅草に住んでいた1960年代は、隅田川からは悪臭が立ち込め、両岸にはいわゆるカミソリ堤防が立っていたという時代。この地域にとってあまりいい時代ではなかった。

 ところで、浅草の観音裏にあったアパートから、母親の実家である吾嬬町(現・京島)まで、たまに一人で歩いて行ったことがあった。バスか東武線に乗るのが普通だが、歩いても小一時間というところ。
  そのコースというのが、言問橋を渡り、墨堤をぶらぶらして向島を横切るというもの。まさに、永井荷風の『濹東奇譚』の主人公が、玉ノ井の遊廓に通う道だと知ったのは、大学生になってからである。言問橋の西側にある見慣れた交番まで、物語に登場していたのには驚いた。

*写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2010年の写真が見られます。


桜橋から下流を眺める

桜橋から隅田川の下流方向をみたところ。右が台東区、左が墨田区である。一番手前に見える橋は言問橋。
当時は、いわゆるカミソリ堤防が両岸に立っていて、川に近づくことができなかった。

1986.3(2010.9)


「墨堤」という風情もあまり感じられなくなっていた当時。言問橋から200mほど北側の地点。ちょうど桜橋が建設中だった。橋脚が見える。

1982.4(2010.9)

建設中の桜橋

建設中の桜橋

左側に見える建物は台東体育館。ここにはプールもあって、夏休みになると台東区北部に住んでいる小学生が集まったものだった。
現在は、リバーサイドスポーツセンターとなって、野球場、陸上トラック、テニスコート、屋内競技場などがある。

1982.4(2010.9)


言問団子の店があるあたりで堤防を離れ、向島方面に向かう。
右の木造商家は2010年も健在。だが、「花街入口」という看板はなくなっていた。

1989.1(2010.9)

向島「花街入口」の看板

料亭「明月」

向島五丁目23番にあった料亭「明月」。粋な黒塀が目を引いた。写真を撮ったのは正月なので、門松が立っている。
残念ながら2008年に廃業したとのことで、高級マンションに姿を変えた。

1989.1(2010.9)


やはり向島五丁目で見かけた民家。ただの民家にしては凝った造りをしているので、花街に関係した建物なのか。詳細は不明である。
新しい写真を見るとわかるように、現在はビルになっており、左端にちらりと東京スカイツリーが見える。

1989.1(2010.9)

向島五丁目の家

 


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